「教えない」

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キャラメルの包み紙 バンビ

 

前回記事防災マニアのつづき

 

道東のガイドをお願いした女性はハンターの資格を持つ父親と狩りに出かけるような娘っ子であった。
その人に聞いた話を思いだそうとする。
確かこんなことであった。
この父がいないと食べていけない自分に気づき、自分の食い扶持を自分で確保するために猟銃所持の資格をとった。

その晩泊めていただくことになっているその人の家に向かう道中、しばらくの間ののち、その言葉は放たれた。
猟銃は家に隠してある、どこにあるかは「教えない」。
きっぱり
おごそかに


あ?いや、どこって、聞いていないどころか思ってもいないことです、食扶持確保ゆえの猟銃所持、う〜むと感じ入りましたが、「鉄砲」という具体的な像を結んでいなかった、というか、

戸惑い、

聞いていないこと思ってもいないことを「教えてあげない」と言われた、
この、あ?の感覚、そうだ、あれだ。四半世紀昔に見たテレビCM。

ポリンキーというスナック菓子のコマーシャルのフレーズ「教えてあげないよ」。
あ?三角形の秘密って、いやそんなこと考えてもいないことに、教えてやらない、って言われても・・・
なぜ三角形なのか、そのスナック菓子の最大の特徴である三角という形状に関して疑問を持ってしかるべきだと?
そうか、しかるべきことを思いつかないことはうろんであるな。

三角形のスナック菓子さんに向かって、秘密を教えていただけないでしょうかとお伺いをたてることは
もしかしてコミュニケーションなのか?
そうか、そうなんだな、
教えないということをわざわざ唄ってみせるのは芸だよねえ?

このコマーシャルに対して、秘密を教えてくれないからと不快に感じている感覚がある、とネットで知った。
教えてやらないという態度が嫌なのかな、
答えがいつも用意されているという前提で生きているのかな、それはさておき、


「教えない」ことの理由はきっといくつもあるよねえ。
猟銃を持っていると聞けば、銃を見たがる人、触りたがる人がいるのだということか。
こいつあぶなそう、という警戒、
他には、う〜ん、
こいつはムシが好かないから大事なものから遠ざけたい、という心理だとか?

いや、
話している相手に向けられた言葉、とも限らない、半ば自分に向けた言葉、
そこにはポリンキーの軽やかさはなかった、うろんなおつむりに残る重さがあった、
それは、殺すということの重さであるのかもしれない。

 

 

 

防災マニア

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移住体験宅の物置に装備されている鎌 農機具独自のラベル


「どんなに幸せになっても、他に幸せを探してしまう」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q144958824

そんな人の性(さが)をハッピー・マニアと表現した漫画がありました。


マニアとは探し求める態度です。
私は防災マニアだと自認しております。
防災品マニアではなくて防災マニア、防災用品や非常食料のメーカーや仕様にこだわりはない。
地震予報のwebマガジンを購読し、物置に数日を生き残るための日用のあれこれを置いておく。
水よし、非常食よし、トイレットペーパーよし、簡易トイレよし、電池よし、携帯ラジオよし、ヘルメットは枕元にある。
だがしかし、食料自給率(生産額ベース)統計を見てうなる、日本は65パーセント、東京は7パーセント。
防災マニアであり都民である私の眉根は寄った。

 

自給自足、だな。
そこで私は土地を買って小屋を建てることを計画した。
財政的に無理があるのですが、マニアだからしょうがないのです。

 

温暖化なんだか小氷河期なんだかわかんないですが、暑い、暑すぎる夏対策も含めて、北海道、完全移住するわけでなくいので(仕事など都合がある)空港に近いところにした。

移住体験のブログを書き始めたのは、ものすごくかいつまんで言うとこういう道筋にありました。

 

土地を購入して草むしりを始めた。長い間何も利用されていない、いわば原野状態。
いやーあなた、草むしりなんてもんでない、開墾だべさ、
根がびっしり茎で繁殖する雑草たちとの格闘、クワ振るうのは初めてだ。よろける。振り下ろしたクワの刃が入らないほど硬い土の掘り起こし続けた。

近所の方が半ば呆れ顔で声をかけてくる。クルマを止めて話しかけてくるひともいた。
ここいつも通るのだけど、買ったのこの土地?いくらだった?畑作るの?
はいー、でもやったことないから、どうなることやら、
大丈夫だよ〜、種まいとけばはえてくっから〜

 

その人の手には北海道新聞があった。配達の途中だという。
クルマで新聞配達ですか?
ハイブリット車だからガソリン食わないから〜


やったことない畑仕事だけど野菜はなんとかなりそうな気がしてきたが、やはりたまにはお肉もお菓子もいただきたい。

家畜を飼える状況にあればそうしたい、
狩り、という手もある、あるにはある、けど。


猟銃免許保持者数は1975年には50万人を超えていたけど、今では20万を切っているようだ。


最近、狩猟を始めた若者がテレビや新聞などのマスコミで取り上げられる機会が増えています。また、女性狩猟者の増加も注目されています。大日本猟友会は実在の女性狩猟者をモデルに「目指せ!狩りガール」という連載企画サイトを開設し、女性へのPRに積極的です。また、北海道では「TWIN(The Women in Nature-shoot&eat-)」という女性狩猟者の団体も誕生しています。
「狩猟ブーム」で猟師は増える? 狩猟者数の動向 2015.03.17UP
http://econavi.eic.or.jp/ecorepo/eat/350

 

狩りガール、そうだ、狩りする女子に聞いたコトバを思い出した。なぜハンターの資格を取ったのか。

続きはまた。

カムバック経木

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経木のメモ用紙  紙が普及する前まで広く記録媒体として用いられた


人はお菓子は食べてもその袋は食べません。アイスコーヒーを飲んでもストローは飲みませんしね。
ところが、海亀、海鳥、イルカに魚に、多くの海のいきものたちがプラスチックゴミが原因で死んでいく、
地球の海はプラスチックゴミがいっぱいだ、魚3トンに対してゴミは1トンの割合だそうだ。
半端ないって、やつです。
くらげなすただよへる それはとおいむかし
合成化学物質が漂い集いたまり続けている地球の海洋、くらげもおちおち漂ってもいられないのでは。

海に有害物質が溶け出せば、めぐりめぐって人の口に入るわけで、プラゴミは焼くとBPSなる有害物質が出てしまう、
この毒素、尿中濃度で見ると日本人は飛び抜けて高い、数年前のデータですけど、日本はアメリカ中国などの5、6倍。
・・・異様に高い、まあっ、なんてことでしょう、いけませんねえ。

 

使い捨てプラスチックはそろそろやめないと?

EUアメリカ、インド、ケニア、台湾などすでに使い捨てプラスチックの規制や禁止を始めています。
マクドナルドとスターバックスが使い捨てストローはやめましょうってことになって、
ここまでプラスチックが使われてきたのは何より大量生産が可能でお安いから。
問題はコストなのでしょう、しかしですね、
すぐには健康被害は出ない、
なんてゴマカシはやめにしなきゃいけないよって判断がいい加減要りますよね。
目の前のお金もそれはそれは大切ですけど。

 

フランスの化粧品のパッケージに竹を使ったものがあるとか、
バンブーの筒みに入った口紅、なるほど。
竹や経木のパッケージを日本は強力にアピールすべき時が来ているのですよね!


経木・・・木を削り取った薄い板のこと。
経木は通気性、吸水性、殺菌性に優れた性質を活かして、昔から食材の包装などに使われてきました。 その昔、原木を割ったりして、塔婆や経文を書いたのが経木の名の由来。
納豆の包装に、たこ焼きのお皿に、中華まんの敷紙など、主に食品の包装に使われてきました。おにぎりを包めば余分な水分を吸ってくれ、美味しくいただけます。
また、天ぷらやお惣菜を乗せたり、お弁当の仕切りなどにも便利です!
わらべ村 http://www.warabemura.net/shopdetail/000000003125/


実は凄かった!木の食品包装「経木」の天然パワー
ダイヤモンド オンライン 2015.5.13
https://diamond.jp/articles/-/71380


北海道の森林資源を小さなものから見てみようと、鉛筆、マッチに続いて経木について調べてみた。

大雪山系に接して原木の豊富な上川地方や旭川は主産地の一つであった。
網走にて製造する経木は、主にエゾマツを使用。

折箱等に使用されるものにはエゾマツ、厚さは1ミリほど、魚類や菓子の包装に使われるものにはシナノキ、0.2から1.5ミリほど。

シナノキやエゾマツが豊富な北海道、明治期末、全道各地に製造工場が登場。しかしプラスチック包装におされて今では数えるほどしか残っていない。


経木が最も脚光を浴びていた時代は明治期である。経木は明治37年には農商務大臣によって重要生産品に指定されている。経木でつくったマッチ箱や経木真田(帽子の材料)や経木織物は輸出産品であり、生糸や絹などに並ぶ重要な存在だった。紙のように薄く木を削ることができるのは日本だけだったのだ。
月刊北海道経済2016年07月号 食品包装材「経木」の伝統守る
http://h-keizai.com/?p=920

 

北海道の経木・折箱制作会社をネットで検索してみました。

野崎経木工場 旭川

崎陽軒横浜市)の「シウマイ弁当」。その容器となる経木(きょうぎ)折り箱を、50年以上供給し続けています」
有限会社 三共 津別と相冨木材加工 株式会社 津別

加賀谷木材株式会社 津別
株式会社 山忠 留辺蘂町
株式会社中村経木 留辺蘂町
小国産業 名寄
株式会社 折勝商店

(下記2つは実際工場が稼働しているかどうかはわかりません)
有限会社旭瑛経木 美瑛
木下経木工業事務所 上士幌

 

経木は文化だ。

捨てるところがない木材利用の伝統を復活させるべき時が来たのです、うむ。

それを作る時どれだけ二酸化炭素などが出るか、環境に負担をおかけするか、
これを環境負荷と言って、アルミ製品はものすごく飛び抜けて高いけど、木製容器はかなりかなり低い。

食べるものを包むのにいいのです、納豆、じっさい経木入りの方が美味しいのですよ、
米粒が一つ二つはりついた折箱、経木に包まれていたおにぎりの海苔、
ほどよく水気をたもってこれがキラリ美しく美味しい。

使ってみれば納得の経木の素晴らしさ、観光地で飲食店などが使えば、国外の観光客の利用でその良さが伝播するでありましょう、
この薄い紙はなんだ、木? これで包まれたライスボール、アッメイジング!
と絶賛されるに違いないですよね。

未来に向かってこたえはこれだ、
経木に適した樹木と機械と技術があればできる、
使い捨てプラスチックにかわる梱包材経木を大いに売り出していただきたい!

 

食品包装資材の可能性をネットで探してみました。
ほほう、こんなものがあるのですね、要チェック!

紙・プラスチックを代替 世界が注目する革命的新素材
石灰石が主成分のLIMEX(ライメックス)
月刊 事業構想 2018年4月号
https://www.projectdesign.jp/201804/sdgs-innovation/004726.php

 

海藻からできた包装材
海藻をベースにしたパッケージは生物分解が可能
http://ourplanet.jp/packaging-material

 

おや、こんな雑誌もあるんだ、要チェック
食品・飲料包装に特化した情報を伝える『月刊食品包装』。


包む、包むもの、かなり奥行きのある概念です。
たべものを包む、とは人が生きていくうえでとても基本的なおこないなんですよね、
しみじみ。

 

 

ホッカイドウのハゲ マッチ擦る日 2

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シュッと擦ってボッと炎をこしらえる、あれね、軸の頭が発火するのではなくて、箱の側面のザラザラした茶色い部分が発火してのち頭に火が燃え移る、のですって。


マッチは19世紀欧州で発明され、明治初期には日本でも製造がはじまった。
日本でのマッチに関する記述は江戸末頃、蘭学者宇田川榕庵(ようあん)による日本初の化学の教科書『舎密開宗』(せみかいそう)に見られる。イギリスの化学者 W.ヘンリーの"Elements of Experimental Chemistry" (1799)の翻訳本。

舎密開宗のいったいどこにマッチのことが書かれているのかな?


巻7 第130章 燐 ではないかと推察される。
私の理科教師日記
http://rikadiary.cocolog-nifty.com/kusuda/2018/03/10-206c.html

日本海域研究 第46号 - 環日本海域環境研究センター - 金沢大学
http://www.ki-net.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2016/06/JSR_vol_46_full.pdf

 


マッチ棒の先の燃える部分(頭薬)とは(塩酸化カリウム、硫黄、ガラス粉を膠で練ったもの)。
硫黄が使われていたのです。(今では硫黄を含まないか、入っていても少量のものがほとんどである、そうだ)。

火薬などの原料となる硫黄はかつては鉱山から採掘される貴重な物質であった。明治期中頃、知床の硫黄山はゴールドならぬイオウラッシュとなっていたそうな。

北海道で硫黄山といえばアトサヌプリ屈斜路湖川湯温泉に挟まれたあたり、噴煙と鼻を突く匂い、そこは今でもゴウゴウと音を立てていると。行かねば、うむ。


明治期中頃の10年間、釧路鉄道という会社があった。硫黄山の経営権を手にした銀行家の安田さんの経営。

明治20年安田財閥の祖である安田善次郎は、硫黄山標茶間に北海道でも2番目という鉄道を建設し、大量生産・大量輸送を実施したが、乱掘によって資源が不足し、わずか9年で幻のように消えて行った。
弟子屈町の歴史とあゆみ
http://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/05machizukuri/05gaiyou/rekishi.html


黄山は地質の影響からか樹木が育たず、古くは裸の山を意味するアトサヌプリと呼ばれたのですね。

標茶~跡佐登/41.8km 釧路線をクルマでたどる
釧路鉄道を訪ねて
http://pyoco3.c.ooco.jp/hokkaido/kusirotetudou/kusirotetudou.html


「旧安田鉄道跡地」を馬そりに乗っていく体験ツアーがあるとな、これは乗せていただきたいもものだ。


アトサヌプリ黄山の『ネイチャーホール』の展示では伝わらない
囚徒による川湯ーアトサヌプリ黄山の硫黄の採掘と、道路の開削工事の歴史、はこちらのサイトをどうぞ。
アトサヌプリでの本当の硫黄採掘の姿-博物館網走監獄資料より
https://blog.goo.ne.jp/goo5comodo/e/56bf1f391a1d94973446c34a9e7e8a04

 

駅はない、鉄道は消えた、枕木消えた、硫黄は今でもごうごう

 

マッチ製造は国の輸出政策として始動し、各地でマッチの製造が始まります。
北野工房のまち マッチ専門ショップ マッチ棒

http://match.or.jp/matchbou/about

 

 

大正14年に重要輸出工業組合法が公布され、マッチは同法の指定業種となりました。
電子じばさん館 http://himeji.jibasan.jp/match/domestic/index.html

 

明治期、生糸や絹に並ぶ日本の重要な輸出産業でありました。
ホッカイドウのハゲが日本を支えていた、ですかい?

 


マッチ擦る つかのま海に 霧深し ・・・・・
下の句を探しあぐねている、このごろです。

 

 

ホッカイドウのハゲ マッチ擦る日 1

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※合成写真です

 

ホッカイドウと呼ばれて150年、その前の名前? 忘れたわ。今はね、ホッカイドウって呼ばれてんのさ。いろんな生き物が行ったり来たり住み着いたり、そうねえ、そう呼ばれるようになってからのことなんだけどさ、なんかこう、むずがゆいことが多くってねえ、それがあなた、たとえばさ、ハゲになったの、ところどころ薄くなった、つるつるになったとこもいくつかあって・・・・・

 

北海道の森林開発の歴史を読んでいますと、こんな愚痴が聞こえてきましたですよ。

北海道に限ったはなしではない、森林の開拓が過ぎると、洪水などの災害につながるのです。局所的大雨に河川は溢れ家はつかる、道は見えない、畑も消える、ご飯も湯のみも流される、へそくりも貯金通帳も、布団も枕も思い出のアルバムも家の権利書も、仏壇だって流れて消える、水が引いても使いものにならない家屋、治水を法律が誤らせる、ってことなんだな。民は食うために木を伐る、より快適な生活のためにさらに伐りたい、だから管理が必要になる、大局に立ち遠くを眺めやる人が必要だ。100年の計を立てるのは政治のおしごとですのに、この夏にひっそり?決まった某森林法、それからあんなことこんなこと、頭がハゲになりそうなことが立て続けに・・・待て待て、今回のお題はマッチであった。

 

マッチの軸、これに適した木がホッカイドウにはたくさんありまして、ヤナギ科の白楊樹(別名ヤマナラシ)やドロノキを丸太にして茹でて桂むきにしてマッチ棒にして港から出荷、大阪、神戸のマッチ製造業者がマッチに加工する。中国などアジア諸国にも輸出されるなど、マッチは明治期日本の重要な輸出品でした。こんにち生活においてマッチを擦る機会もめっきり減りましたが、明治大正昭和前期まで、煮炊きに暖とりタバコにお線香にとマッチはなくてはならないものでしたから、そうなんです、鉛筆にするためにオンコさんを伐りすぎたように、マッチにするためにドロノキさんたちも伐られすぎて、さてもホッカイドウは9割近くが森林で、道東においてはマッチの製軸工場があちこちに出来たのは明後期から大正あたり。


前回の鉛筆に続いて北海道の森林事業を小さなものから見てみよう、マッチを取り上げます。

豊富な森林資源をようする北海道は、マッチの軸木やマッチ箱(むかしは木製だったのです)の半製品を多くになってきた。それらの多くは神戸に送られそこから世界各国に輸出された。神戸以外のものが国内消費となっていたようです。

燐寸(マッチ)製軸業
マッチ製軸工場をネットで検索してみました。

1891(明治24)年  山田製軸所 網走村 明治30年には藻別村
1895(明治28)年  鈴木八重蔵製軸所 鐺沸村
1896(明治29)年  岩田製軸所 藻別村
1897(明治30)年  三東製軸所 澤木村
           斜里軸木製造所 朱圓村          
           神戸製軸工場 紋別オムサロ
1898(明治31)年    酒井製軸所 紋別村
           小松内製軸所 幌内村
1901(明治34)年  信太寿之 紋別新部
1902(明治35)年  鈴木浩気製軸工場 野付牛村
           丸玉製軸工場(現丸玉木材株式会社 津別)
1903(明治36)年  中沢製軸工場 遠軽

他には
湧別の柴田友蔵、釧路から訓子府に進出した草野製軸訓子府工場  訓子府町
西製軸工場のち大正7年に大東燐寸(マッチ)株式会社設立
森製軸所 杜製軸所 蛎崎製軸所 日本燐寸株式会社猿澗工場 など


北見は白楊の最大生産地、43年には18もの工場が乱立していたが、原料の欠乏により相次いで閉鎖。
44年に山火事で白楊が全滅すると北見の製軸事業も終わる.
大正期にはいると神戸に陸揚げされる軸木の原木は年々減少、ロシアからの輸入が急増。
さっぽろ自由学校「遊」/マッチ産業による有用樹の集中伐採より 
http://www.sapporoyu.org/modules/sy_html/index.php?f=chosa-yanagisawa


(社)日本マッチ工業会が昭和25年(1950年)に発刊した 『燐寸(マッチ)要覧』 によると、 大正初期から昭和3年ごろまでの軸木は、沿海州(現在の極東ロシア)の白楊(はくよう)が約90%、北海道産 ・樺太(からふと)の白揚およびドロの木が、約10%の割合で、輸入材の多くは、兵庫県内(主として神戸市内)の製軸(せいじく)工場で加工されたようである。
燐寸博物館 http://www.tanaka-match.co.jp/museum/kaisetu.htm


当時某マッチ会社から派遣された『軸木原木探究者』は栗毛の馬に跨って北海道の原野を跋渉し、宝庫の鍵を探し求めた
○燐寸盛衰記/並木六壷庵/神戸新聞/昭和2年
網走のマッチ製造業 http://hokkaidonobunka.sapolog.com/e4371.html
殖民の始まりとマッチ製軸業 ~先進的だった紋別地方開拓期の林産業


明治44年の網走港の総移出額は,37万ほどですが,その4割近い,10万円ほどがマッチの軸木の金額
http://houhouken.web.fc2.com/imanarikura.htm

 

さて、美幌町ではどうだったのでしょうか。
美幌町林業は古梅からはじまったといわれている。(美幌叢書第9号 入門 むかしの美幌)
1912(明治45)年に東洋燐寸(マッチ)製軸工場ができた。網走ー池田間に鉄道が開通したのです。
鉄道が開通するまでは古梅の白楊を網走川美幌川を使ってイカダを組んで流送して網走の大曲の山田製軸工場まで運んでいたのですって。しかしこの工場は1919(大正8)年に閉鎖と成りました。

東洋燐寸株式会社とはマッチ王と呼ばれた滝川弁三の東洋最大と称されたマッチ会社。

 

網走の港から神戸に向けて、兵庫県で生産されたマッチは神戸港から世界に向けて輸出された。
港、海、マッチの炎、
マッチ擦る つかの間海に霧深し・・・・


マッチ箱

マッチの箱は紙ではなく経木であった。
マッチの軸は木、そしてマッチ箱も昔は紙ではなくて薄い木でできていました。主に松燐寸博物館 http://www.tanaka-match.co.jp/museum/kaisetu2.htm

1954(昭和29)年には京都製作所において紙製のマッチ中箱を作る中箱製造機が完成し、経木の小箱から能率のよい紙製の小箱へと変化していった。
マッチの世界 http://www.match.or.jp/history/index11.html

経木とは主にスギ・ヒノキ等の材木を紙のように薄く削ったもの。駅弁や菓子折りなどの箱でおなじみ、納豆や刺身など食品を包むのに使う。プラスチック製に追われてしまいましたが、今でも目にすることはあります。復活望む。


つづく

鉛筆と北海道

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キャンプ場に隣接する美幌博物館の特製手ぬぐい

 

キャンプ場には様々な樹木がお名前の札を下げてある。

キャンプ場入口にあるのは美幌の町の樹であるイチイ、オンコとも呼ばれる常緑針葉樹。

このオンコさんは鉛筆の軸材とされたのですって。

 

イチイ(一位、櫟、学名:Taxus cuspidata)は、イチイ科イチイ属の植物。またはイチイ属の植物の総称。常緑針葉樹。別名はアララギ。北海道や北東北の方言ではオンコと呼ばれ、アイヌからはクネニと呼ばれた wiki

 

年輪の幅が狭く緻密で狂いが生じにくく加工しやすい。

羽根状に付く葉の一本一本は短くふっくらとした針で先は尖っているけどむずいくらい、

初秋に赤い実がなる、種子は毒を含む。

 

雌雄異株、北海道ではサカキやヒサカキなどがないため、神前の玉串にもイチイの木が使われています。https://kurashi-no.jp/I0012308

 

 

美幌に近い斜里の町には樹霊塔があるのです。樹の慰霊。

「斜里原産オンコは優れた木質が最高適材に選ばれ北海道鉛筆原板発祥の地となり斜里町財政を支えた」一位樹霊塔の説明より

下記のアドレスに画像がご覧いただけます。

北海道応援のブログ

https://ameblo.jp/nomaru1256/entry-12224170437.html

 

大材は北海道方面、育ちが遅く材は緻密であって、淡赤色、弾力があり国産鉛筆として最上であった。イチイを原料とする鉛筆軸木工場は大正初期から昭和初年に掛けて資源の豊かな北海道の斜里地域に水車を動力とする鉛筆軸工場が15工場操業を開始した。昭和8年には鉛筆軸企業も広域化し、斜里中心に道東一円30工場が操業した。【土橋勝利】

木のメモ帳

http://www.geocities.jp/kinomemocho/zatu_pencil.html

 

 

(ところで、斜里の町の樹はミズナラ 町の樹とは誰がいつ決めたのでしょうね)

 

この樹は鉛筆の板材として伐採されすぎた、それで供養しましょうとなったわけか。

全国の鉛筆の6割は北海道の木材であったとか、そうですかー、北海道のオンコは日本の知を支えてきたのだと言ってもいいのではないでしょうか!

 

「ボクも!ワタシも!えんぴつ大好き」 日本鉛筆工業協同組合のサイトを見てみましょう。

http://www.pencil.or.jp/index.html

 

昭和15年の記録によると、北海道産の軸木板としては、オンコ30%、シナ10%に対してヤマハンノキは実に60%を占め、数量にして216万グロス鉛筆板工場は、昭和17年で全国に48ヵ所あり、このうち半数以上が北海道にあり、主力の20工場で北海道鉛筆材工業組合が結成されていた。鉛筆板の販売は、この組合を通して、同組合東京出張所より、組合指定販売人に卸され、ここから鉛筆製造業者に渡る仕組みになっていた。

(白羊鉛筆40年のあゆみより)

 

北見材と言ってサロマあたりの木材が鉛筆材にされた。なるほど、鉛筆材の製材工場が多かったのか。北見材、ふむ、明治期は網走あたりを北見と呼んでいたそうな。

明治末に佐呂間に製材工場を作った北星鉛筆の全身は昭和18年には釧路に本社を構えている。

 

きたぼし、と読む。北星鉛筆は現在は東京に本社を置く老舗の鉛筆会社のサイトに当たる。

 

屯田兵として北海道に渡り、鉛筆の板「スラット」を製造する会社を設立して全国に販売していました。

筆を使う書記であったこともあって、これから大量に鉛筆が必要な時代になると察知し、鉛筆の板材の製造を始めたようです。

その後、関東大震災で経営の行き詰った鉛筆製造会社を引き継ぎ、現在の地に会社を設立しました。

きたぼし

http://www.kitaboshi.co.jp

 

 

「スラット」と呼ばれるハガキ大の板に溝をつけて鉛筆の芯である黒鉛をおいて板で挟んで軸幅に切っていくのですな。板の加工はこちらをどうぞ

http://www.pencil.or.jp/museum/museum.html

 

 

まっすぐに伸びる幹と綺麗な円錐形を保つ樹姿が美しい。

北海道や東北北部などの寒冷地では、和風庭園の主木、生垣、植え込みの定番となっている。

オンコの姿形はこちらをどうぞ 

庭木図鑑植木ペディア

https://www.uekipedia.jp/常緑針葉樹/イチイ/

木のメモ帳

http://www.geocities.jp/kinomemocho/zatu_ichii.html

 

 

えんぴつになって消えていったたくさんのオンコさんたちでしたが、

町の樹オンコは美幌の町でいたるところでお見かけます。

見上げる高さに盆栽の枝ぶり、街路樹のあれは何?

 

松なの?

庭木を手入れなさっておいでのお宅にも幾つかお見かけします、最初見たときは理解が及びませんでした。和風庭園にある松の剪定と言いましょうか、盆栽の枝ぶりと申しましょうか、近寄ってみまして、

 

いえいえあれは松ではありあません、あれはオンコ、紡錘形が美しい姿を松の剪定かのごとく内地風に刈り上げているではありませんか。

いやーどうにもこれはなんともいやはやでございます、いやいやしかしながらですね、美というものは力学にいう力の釣り合いの点のような瞬間に現れる、いわゆるある種の見え方、でございましてですね、云々

 

ここ北海道では違う美的感覚が強く作用しているゆえの現象である、と考えてみる。

冬なぞ厳しい寒気の中、縮こまった葉でいっそうあずましくない、と感じた己を納得させる。

 

 

鉛筆からみてみた北海道の樹、それでは次はマッチからみてみたくなりました。マッチの製軸工場が多かったのですよね、、大曲(網走市)に北海道最初の製軸工場が設立されたのは明治20年頃のこと。

 

つづく

 

えんぴつのおまけ

 

筆記用具

1943年頃から、トンボ鉛筆は「敵性語の撃滅!」と題した新聞広告で、鉛筆の濃さの表記を以下のように変えると告知した。

「HB」→「中庸」(ちゅうよう)

「H」→ 「1硬」(こう)

「B」→ 「1軟」(なん)

 

 

鉛筆のはなし(北海道を中心にして)

文具資料室

http://karikachi.kitunebi.com/bungu/enpitu.htm

 

 

ネットで見つけた 2018/06/19 - 鉛筆収集家にきちさんの日々のつぶやき. ... 

https://twitter.com/nikichi73

 一番活気があった昭和33年頃からの大まかな北海道内のスラットの生産量と製材所をほぼ把握出来そうだ。やっていた本人も資料を持っていなかったり忘れたらしているからこれは大変な発見だ。

 

二・二六事件の頃、とある木工場でヤマハンノキ材の鉛筆板が開発された。開発したのはO氏となっているが、僅か数ヶ月後にI氏が鉛材工場を本格事業化したのは無関係では無いだろう。意外なのはハンノキ材は既にドイツで鉛筆になっていたということ。ヨーロッパで広葉樹の鉛筆?

 

1920年代中頃には、フランスの鉛筆はシナやハンノキで作られるようになっていた、と「鉛筆と人間」に記述がある。これなら世界的なレッドシダー不足が予想される中、厚岸からオンコを鉛筆用に輸出しようと考えるのも理解出来る。(大正時代の話)

 

  

日本鉛筆工業協同組合 鉛筆組合史年表より

 

明治42年(1909)北星鉛筆の創業者だった杉谷安左衛門が、道内のオンコ(イチイ、アララギの北海道方言)を鉛筆の軸木板として使用する。北海道材が、鉛筆の歴史に初めて姿を現わす。

 

・ 眞崎仁六の眞崎鉛筆製造所が現在の三菱鉛筆株式会社に、また河原徳石衛門の門下生の杉江鉦三郎と共に鉛筆づくりを始めた小川作太郎が、現在の株式会社トンボ鉛筆に、それぞれ発展している

 

 

6角形の小屋

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とどまつ、からまつ、くるみ、ぽぷら、しらかば、かつら、もみじ、、、

美幌みどりの村の森林公園エリアのキャンプ場の幾宿泊施設、19棟ある小屋にはいずれも樹の名前が付けられおり、水道設備が共有のバンガローである。  

大小4タイプある中で一番小さなマッシュルームと命名されているキノコ型キャビンは3棟、土台の部分は鉄製、近隣の町のキャンプ場にも同じ形の小屋が設置されたが、鉄ではなく木材の足であったことでカサの部分を維持できなくなってしまったとか。

マッシュルームと呼ばれて30年以上この美幌の地に一本の足で立ちつづけている。

 

室内空間が6角形なのです。聖徳太子の夢殿は八角堂ですが、六角もまた俗世を隔てる空間であります。

自分を囲む空間が6角形、一本足の上にある六角垂の壁面が外部と自分とを隔てている。この空間の出入り口は小屋の床面、地面と平行にある、梯子段を上がり頭で蓋をこじ開け、背中でさらに押し上げてフックで固定する。

空中の六角垂の部屋、子供だったら一生忘れられないと思う。

 

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今回の移住体験は10日間、グリーンビレッジという体験型宿泊施設を利用したのですが、全泊連続は予約できなかったので隣接のキャンプ場の小屋に泊まってみることにした。3泊ほどこのマッシュルームで過ごしたわけです。

室内には何もない、室内は照明の蛍光灯があるばかり、椅子も机もコンセントもない。トイレは共同トイレでして、これが歩数にして200歩以上も離れたところにある。マッシュルーム近くにあるシャワーは小屋ブースで5分200円。洗濯機使用は無料です。

 

カーテンのない窓からの朝の光と木立の小鳥のさえずりで目覚める清々しい朝、もありましたけど、主に小鳥ではなくてカラスね、んかあ~んんがあ~と賑やかなこと。人のいるところにカラスあり。