「つながりにくいことがあります」

f:id:bihoro009:20190524123649j:plain

アカゲラ 美幌町のマンホール?デザイン

モバイルWiFi美幌はどうかな

 

美幌に滞在している間はモバイルWiFiが頼りのパソコンライフなのです。現在はUQを契約しています。端末はWIMAX2プラス。

UQのサイトでは、接続可能かどうかがピンポイント(町名と番地と号数)で確認できるのですよ、また、接続可能エリアが一目でわかるような詳細なエリア色分けマップがネットで表示されるのです。

 

北海道網走郡美幌町はどうだ?
UQのサイトで確認してみる。

おお、接続可能のエリアに私が使用を希望する場所も入ってるね、明るいピンクで塗られている。(2019年3月末時点の440Mbps対応エリア)
住所からピンポイントで調べることができる、
主に使用したい場所は東4条南〇〇番地〇〇号、ピンポイント検索してみる。

つながり具合は◯から△のサインが出ますね。

 

さて、UQ、契約してみました。

北海道道美幌町、2019年3月と4月の接続状況

東4条南のとある地点、◯から△のサインとされているところで、何度やってもつながらない。ここらは「圏外」だ。近くにある移住体験宅の四季彩美幌、ここもUQは「圏外」と表示される。サインは◯から△ですけど。役場の施設のこの住宅は、設備にWiFiがあり問題無い、ここに宿泊している間は快適で特に不便は無いのですけどね、UQは接続エリアなのにつながらないですね、
接続を試みたのは、いずれも木造平屋内ですよ、近くに障害になるような建物も無い、2階建、せいぜい3階建の戸建てがのびのびと広がる閑静な住宅街。
場所を変えてみる。

中島珈琲「圏外」。
(旧繁華街を貫く通りに面した茶房。なまらクール)

青葉荘「圏外」。
(JR美幌駅そばの民宿、要予約のかに弁当で知られる町の老舗に宿泊してみた、UQは「圏外」となったけど、この宿のWiFiで快適にネットできました!)

美幌図書館そばのローソンの駐車では接続した。
スーパー・シティビホロではつながった。
いずれもアンテナは1本だったような・・・(記憶曖昧)

なんかなー、つながらないとこ多くね?って不満がたまる。パープルエリアだとなんとかつながるのかな?当たるも八卦当たらぬも八卦の類ですかいダンナ?

 

UQね、人口集中の地域は悪くないのですけどね、のびのびした街並みになると、どうもいけませんねえ。

(今度美幌入りしたらハイスピードエリアモードにしてみよう、と今思い至る)

 

UQのサイトの美幌町の接続エリアをとっくりと見直してみる。

f:id:bihoro009:20190524124826j:plain

パープルのエリアが美幌町の大型商店など集中する地域で住宅地も新しい

少し前に道東の別の町でUQの接続お試し端末を借りて、問題なく使用できたのですよ。その頃はモバイルはYモバイルを使っていまして、総じて接続はUQより良かったのですが、容量制限の点でUQの方が良さそうなので替えてみた、という経緯がありましたが・・・

 

UQのサイトの接続ポイントであることを町名番地で確認、よし。

エリア色分けマップを確認、まあ、よし、と契約に至ったのであります。

UQに電話しました。

「つながりにくいことがあります」
「3年契約ですので、今解除されると違約金を頂戴することになります」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

美幌スープ

f:id:bihoro009:20190223164106j:plain
美幌の白花豆
移住体験、いかがですか。
わが町の産業は「あれこれ」、「あれこれ」の体験プログラムに参加してみませんか?
・・・移住体験促進事情のお知らせが美幌役場から届きました。
 
北海道の「あれこれ」、とは、たいがい、林業に農業畜産、ですよね。
これだと頭一つ抜け出せないなあ、
どこの町もあれこれ、なのですからねえ、
「あれこれ」以外の、キャッチな何かを提示できたらいいのですけど。
 
ウトウト寝不足で乗り込んだ北海道に向かう機内、
 前の座席のポケットにある冊子、AIR DOの機内冊誌 rapora February 2019 、
北海道移住ライフ紹介のページ、美幌の農家の紹介の下に
「高校生が率先して美幌の町の魅力を発信」の見出しに注目。
美幌高校の生徒が中心の<美幌の魅力伝え隊>なるチームの健闘を伝える記事をみました。
美幌の特産を使用した加工品の開発、町内飲食店との連携による魅力あるメニュー表の作成など、美幌のPRを模索なさっておいでのご様子。ふむふむ、それならばですね、
それならば是非、キャッチな何か、を掴んでいただきたい。
 
 
キャッチな何か、とは、何だべ?
 
食べ物、やはり食べらる物が強いので、「あれこれ」の中から食べ物を取り上げてみます。
大事なのは、ネーミングです。
例えば豚にアスパラガスなどの農作物ですと、よそでもあるわけで、差別化がつけにくい、そこで加工品やパッケージデザインの工夫、となるわけですが、
他にも手がありますよ、原材料は原則美幌産として、町内飲食店がそれぞれ独自のメニューに仕立て上げる、飲食店に限らず、各ご家庭でも献立に取り入れてみる、作りやすく、比較的安価、そんな料理はいかがでしょうか。
 もちろんこちらは存じております。ご当地グルメ、美幌高の生徒たちが飼育法を考えた「美幌豚」のハンバーガー。(まだいただいたことはありませんが)ちょっと贅沢なご馳走で、手軽に作れるというものでもないような?
もう一息、値段と気分の敷居を下げたもので、ちょっと知らなかった、と軽いお得感を呼ぶような、そんな料理がないものか?
 
私の友人で、美幌に何度か訪れているリリーさんは、
物産館ぽっぽ屋で美幌特産品のコーナーを見ていて、閃めいてしまいました。
農産物、それを使った料理、
美幌を、一瞬で忘れられない町にするもの、
それはひと呼んで
「美幌スープ」。
 
それでは、リリーさんから寄せられたお便りをご紹介いたします。
 
 
こんにちは。
美幌の駅に併設された地元産品のお店で、粟崎民子さんのお作りになった「白花豆」を買いました。
大きくて真っ白い、つるっとしたおたふく型の、とてもきれいなお豆です。
より正確にはシロバナインゲン、インゲンマメ属のベニバナインゲン(紫花豆)の変種。
お花も白くて大きくきれいだとのこと。寒いところがすきなので、日本ではもっぱら北海道でつくられているようです。
イギリスやアメリカではこの豆の若い莢をランナー・ビーンズと呼んで料理に使うようです。インゲン豆とは別の豆ですが、使われ方が似ていますね。乾燥豆としてはギリシアやスペインでもよく料理につかうそうです
 
乾燥した白花豆の特徴は、煮るのに時間がかかること。皮がかたいんですね。豆類に含まれる毒素もあるので、下準備で十分豆を煮て柔らかくすることが肝心です。でもストーヴがずっとついている北海道なら、長時間煮るのは簡単ですね!
 
日本では甘く煮ることが多いようですが、下煮をして食べてみて、「旨みがあるからスープにもいいな」とおもいました。この豆と豚の各部位を使った料理が、欧米のレシピ紹介サイトにはたくさん載っています。そういえばイギリスに、豆(グリーンピーズ)とハムの伝統的なスープがありましたね。あれはおいしい……調べてみると、ミントを入れるレシピがいくつか紹介されてみました。豆とハムとミント。なんだか美幌やその近辺にぴったりなレシピじゃないですか。
 
そこで、スープをつくってみました。名付けて美幌スープです!
 
 
美幌スープ レシピ(約4人分)
 
材料 タマネギ(ぜひ美幌産のを!)2つ 
   白花豆の炊いたの(下に解説・これもぜひ美幌産で!)250グラム
   ハム(添加物の少ないブロックを、美幌の近くの端野でもよいハムが手に入るようです、ベーコンでも)200グラム
   フレッシュミント(原産地だった美幌や北見のフレッシュハーブが手に入るとベスト)少々
   チキンかベジタブルのスープの素 一つ
   黒こしょう ローリエベイリーフ) 塩 少量づつ
   水 材料がかぶるぐらい
   *材料の量は味をみて、手持ちの具合で、好きなように加減してください。 
 
下準備 白花豆を炊きます。白花豆は一晩水につけておく。
    水を切り、豆を洗い、鍋も洗って、新たに水を入れ豆を煮る。吹きこぼれそうになったら湯を捨てる。
    またざっと豆と鍋を洗い、水を入れ、同様に煮て湯を捨てざっと豆と鍋を洗う。
    豆に水1リットルを入れて豆を煮る。沸騰したら弱火にして落とし蓋をかぶせ、皮がやわらかくなるまで煮る。
    (このあと砂糖やはちみつ、好みによって醤油などを加えて甘く煮ることもできますが、今回はスープに)
 
調理 タマネギは皮をむき半分にして鍋に入れる。
   ハムはサイコロ状か棒状に四角く切る。1×1×2センチぐらい、ある程度厚みがあったほうがおいしいです。
   これらを鍋に入れ黒こしょうとローリエを加え、水を入れて沸騰させます。
   煮立ったらスープの素を入れて弱火で材料がすっかり柔らかくなるまで1時間ほど煮ます。
   すっかり煮えたところに、炊いた白花豆を入れ、さらに煮込みます。
   あとはお好みの加減で、できれば豆が崩れそうなぐらいやわらかく煮てください。
   味をみて塩加減を調節したら、盛りつけてフレッシュミントを散らし、できあがり。
 
 
まだ改善の余地はありそうなレシピですが、ひとまずこんなのもあり、とご紹介してみます。
 

 

「教えない」

f:id:bihoro009:20181009215238j:plain

キャラメルの包み紙 バンビ

 

前回記事防災マニアのつづき

 

道東のガイドをお願いした女性はハンターの資格を持つ父親と狩りに出かけるような娘っ子であった。
その人に聞いた話を思いだそうとする。
確かこんなことであった。
この父がいないと食べていけない自分に気づき、自分の食い扶持を自分で確保するために猟銃所持の資格をとった。

その晩泊めていただくことになっているその人の家に向かう道中、しばらくの間ののち、その言葉は放たれた。
猟銃は家に隠してある、どこにあるかは「教えない」。
きっぱり
おごそかに


あ?いや、どこって、聞いていないどころか思ってもいないことです、食扶持確保ゆえの猟銃所持、う〜むと感じ入りましたが、「鉄砲」という具体的な像を結んでいなかった、というか、

戸惑い、

聞いていないこと思ってもいないことを「教えてあげない」と言われた、
この、あ?の感覚、そうだ、あれだ。四半世紀昔に見たテレビCM。

ポリンキーというスナック菓子のコマーシャルのフレーズ「教えてあげないよ」。
あ?三角形の秘密って、いやそんなこと考えてもいないことに、教えてやらない、って言われても・・・
なぜ三角形なのか、そのスナック菓子の最大の特徴である三角という形状に関して疑問を持ってしかるべきだと?
そうか、しかるべきことを思いつかないことはうろんであるな。

三角形のスナック菓子さんに向かって、秘密を教えていただけないでしょうかとお伺いをたてることは
もしかしてコミュニケーションなのか?
そうか、そうなんだな、
教えないということをわざわざ唄ってみせるのは芸だよねえ?

このコマーシャルに対して、秘密を教えてくれないからと不快に感じている感覚がある、とネットで知った。
教えてやらないという態度が嫌なのかな、
答えがいつも用意されているという前提で生きているのかな、それはさておき、


「教えない」ことの理由はきっといくつもあるよねえ。
猟銃を持っていると聞けば、銃を見たがる人、触りたがる人がいるのだということか。
こいつあぶなそう、という警戒、
他には、う〜ん、
こいつはムシが好かないから大事なものから遠ざけたい、という心理だとか?

いや、
話している相手に向けられた言葉、とも限らない、半ば自分に向けた言葉、
そこにはポリンキーの軽やかさはなかった、うろんなおつむりに残る重さがあった、
それは、殺すということの重さであるのかもしれない。

 

 

 

防災マニア

f:id:bihoro009:20180903143322j:plain

移住体験宅の物置に装備されている鎌 農機具独自のラベル


「どんなに幸せになっても、他に幸せを探してしまう」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q144958824

そんな人の性(さが)をハッピー・マニアと表現した漫画がありました。


マニアとは探し求める態度です。
私は防災マニアだと自認しております。
防災品マニアではなくて防災マニア、防災用品や非常食料のメーカーや仕様にこだわりはない。
地震予報のwebマガジンを購読し、物置に数日を生き残るための日用のあれこれを置いておく。
水よし、非常食よし、トイレットペーパーよし、簡易トイレよし、電池よし、携帯ラジオよし、ヘルメットは枕元にある。
だがしかし、食料自給率(生産額ベース)統計を見てうなる、日本は65パーセント、東京は7パーセント。
防災マニアであり都民である私の眉根は寄った。

 

自給自足、だな。
そこで私は土地を買って小屋を建てることを計画した。
財政的に無理があるのですが、マニアだからしょうがないのです。

 

温暖化なんだか小氷河期なんだかわかんないですが、暑い、暑すぎる夏対策も含めて、北海道、完全移住するわけでなくいので(仕事など都合がある)空港に近いところにした。

移住体験のブログを書き始めたのは、ものすごくかいつまんで言うとこういう道筋にありました。

 

土地を購入して草むしりを始めた。長い間何も利用されていない、いわば原野状態。
いやーあなた、草むしりなんてもんでない、開墾だべさ、
根がびっしり茎で繁殖する雑草たちとの格闘、クワ振るうのは初めてだ。よろける。振り下ろしたクワの刃が入らないほど硬い土の掘り起こし続けた。

近所の方が半ば呆れ顔で声をかけてくる。クルマを止めて話しかけてくるひともいた。
ここいつも通るのだけど、買ったのこの土地?いくらだった?畑作るの?
はいー、でもやったことないから、どうなることやら、
大丈夫だよ〜、種まいとけばはえてくっから〜

 

その人の手には北海道新聞があった。配達の途中だという。
クルマで新聞配達ですか?
ハイブリット車だからガソリン食わないから〜


やったことない畑仕事だけど野菜はなんとかなりそうな気がしてきたが、やはりたまにはお肉もお菓子もいただきたい。

家畜を飼える状況にあればそうしたい、
狩り、という手もある、あるにはある、けど。


猟銃免許保持者数は1975年には50万人を超えていたけど、今では20万を切っているようだ。


最近、狩猟を始めた若者がテレビや新聞などのマスコミで取り上げられる機会が増えています。また、女性狩猟者の増加も注目されています。大日本猟友会は実在の女性狩猟者をモデルに「目指せ!狩りガール」という連載企画サイトを開設し、女性へのPRに積極的です。また、北海道では「TWIN(The Women in Nature-shoot&eat-)」という女性狩猟者の団体も誕生しています。
「狩猟ブーム」で猟師は増える? 狩猟者数の動向 2015.03.17UP
http://econavi.eic.or.jp/ecorepo/eat/350

 

狩りガール、そうだ、狩りする女子に聞いたコトバを思い出した。なぜハンターの資格を取ったのか。

続きはまた。

カムバック経木

f:id:bihoro009:20180830161449j:plain

経木のメモ用紙  紙が普及する前まで広く記録媒体として用いられた


人はお菓子は食べてもその袋は食べません。アイスコーヒーを飲んでもストローは飲みませんしね。
ところが、海亀、海鳥、イルカに魚に、多くの海のいきものたちがプラスチックゴミが原因で死んでいく、
地球の海はプラスチックゴミがいっぱいだ、魚3トンに対してゴミは1トンの割合だそうだ。
半端ないって、やつです。
くらげなすただよへる それはとおいむかし
合成化学物質が漂い集いたまり続けている地球の海洋、くらげもおちおち漂ってもいられないのでは。

海に有害物質が溶け出せば、めぐりめぐって人の口に入るわけで、プラゴミは焼くとBPSなる有害物質が出てしまう、
この毒素、尿中濃度で見ると日本人は飛び抜けて高い、数年前のデータですけど、日本はアメリカ中国などの5、6倍。
・・・異様に高い、まあっ、なんてことでしょう、いけませんねえ。

 

使い捨てプラスチックはそろそろやめないと?

EUアメリカ、インド、ケニア、台湾などすでに使い捨てプラスチックの規制や禁止を始めています。
マクドナルドとスターバックスが使い捨てストローはやめましょうってことになって、
ここまでプラスチックが使われてきたのは何より大量生産が可能でお安いから。
問題はコストなのでしょう、しかしですね、
すぐには健康被害は出ない、
なんてゴマカシはやめにしなきゃいけないよって判断がいい加減要りますよね。
目の前のお金もそれはそれは大切ですけど。

 

フランスの化粧品のパッケージに竹を使ったものがあるとか、
バンブーの筒みに入った口紅、なるほど。
竹や経木のパッケージを日本は強力にアピールすべき時が来ているのですよね!


経木・・・木を削り取った薄い板のこと。
経木は通気性、吸水性、殺菌性に優れた性質を活かして、昔から食材の包装などに使われてきました。 その昔、原木を割ったりして、塔婆や経文を書いたのが経木の名の由来。
納豆の包装に、たこ焼きのお皿に、中華まんの敷紙など、主に食品の包装に使われてきました。おにぎりを包めば余分な水分を吸ってくれ、美味しくいただけます。
また、天ぷらやお惣菜を乗せたり、お弁当の仕切りなどにも便利です!
わらべ村 http://www.warabemura.net/shopdetail/000000003125/


実は凄かった!木の食品包装「経木」の天然パワー
ダイヤモンド オンライン 2015.5.13
https://diamond.jp/articles/-/71380


北海道の森林資源を小さなものから見てみようと、鉛筆、マッチに続いて経木について調べてみた。

大雪山系に接して原木の豊富な上川地方や旭川は主産地の一つであった。
網走にて製造する経木は、主にエゾマツを使用。

折箱等に使用されるものにはエゾマツ、厚さは1ミリほど、魚類や菓子の包装に使われるものにはシナノキ、0.2から1.5ミリほど。

シナノキやエゾマツが豊富な北海道、明治期末、全道各地に製造工場が登場。しかしプラスチック包装におされて今では数えるほどしか残っていない。


経木が最も脚光を浴びていた時代は明治期である。経木は明治37年には農商務大臣によって重要生産品に指定されている。経木でつくったマッチ箱や経木真田(帽子の材料)や経木織物は輸出産品であり、生糸や絹などに並ぶ重要な存在だった。紙のように薄く木を削ることができるのは日本だけだったのだ。
月刊北海道経済2016年07月号 食品包装材「経木」の伝統守る
http://h-keizai.com/?p=920

 

北海道の経木・折箱制作会社をネットで検索してみました。

野崎経木工場 旭川

崎陽軒横浜市)の「シウマイ弁当」。その容器となる経木(きょうぎ)折り箱を、50年以上供給し続けています」
有限会社 三共 津別と相冨木材加工 株式会社 津別

加賀谷木材株式会社 津別
株式会社 山忠 留辺蘂町
株式会社中村経木 留辺蘂町
小国産業 名寄
株式会社 折勝商店

(下記2つは実際工場が稼働しているかどうかはわかりません)
有限会社旭瑛経木 美瑛
木下経木工業事務所 上士幌

 

経木は文化だ。

捨てるところがない木材利用の伝統を復活させるべき時が来たのです、うむ。

それを作る時どれだけ二酸化炭素などが出るか、環境に負担をおかけするか、
これを環境負荷と言って、アルミ製品はものすごく飛び抜けて高いけど、木製容器はかなりかなり低い。

食べるものを包むのにいいのです、納豆、じっさい経木入りの方が美味しいのですよ、
米粒が一つ二つはりついた折箱、経木に包まれていたおにぎりの海苔、
ほどよく水気をたもってこれがキラリ美しく美味しい。

使ってみれば納得の経木の素晴らしさ、観光地で飲食店などが使えば、国外の観光客の利用でその良さが伝播するでありましょう、
この薄い紙はなんだ、木? これで包まれたライスボール、アッメイジング!
と絶賛されるに違いないですよね。

未来に向かってこたえはこれだ、
経木に適した樹木と機械と技術があればできる、
使い捨てプラスチックにかわる梱包材経木を大いに売り出していただきたい!

 

食品包装資材の可能性をネットで探してみました。
ほほう、こんなものがあるのですね、要チェック!

紙・プラスチックを代替 世界が注目する革命的新素材
石灰石が主成分のLIMEX(ライメックス)
月刊 事業構想 2018年4月号
https://www.projectdesign.jp/201804/sdgs-innovation/004726.php

 

海藻からできた包装材
海藻をベースにしたパッケージは生物分解が可能
http://ourplanet.jp/packaging-material

 

おや、こんな雑誌もあるんだ、要チェック
食品・飲料包装に特化した情報を伝える『月刊食品包装』。


包む、包むもの、かなり奥行きのある概念です。
たべものを包む、とは人が生きていくうえでとても基本的なおこないなんですよね、
しみじみ。

 

 

ホッカイドウのハゲ マッチ擦る日 2

f:id:bihoro009:20180816171824j:plain

 

シュッと擦ってボッと炎をこしらえる、あれね、軸の頭が発火するのではなくて、箱の側面のザラザラした茶色い部分が発火してのち頭に火が燃え移る、のですって。


マッチは19世紀欧州で発明され、明治初期には日本でも製造がはじまった。
日本でのマッチに関する記述は江戸末頃、蘭学者宇田川榕庵(ようあん)による日本初の化学の教科書『舎密開宗』(せみかいそう)に見られる。イギリスの化学者 W.ヘンリーの"Elements of Experimental Chemistry" (1799)の翻訳本。

舎密開宗のいったいどこにマッチのことが書かれているのかな?


巻7 第130章 燐 ではないかと推察される。
私の理科教師日記
http://rikadiary.cocolog-nifty.com/kusuda/2018/03/10-206c.html

日本海域研究 第46号 - 環日本海域環境研究センター - 金沢大学
http://www.ki-net.kanazawa-u.ac.jp/wp-content/uploads/2016/06/JSR_vol_46_full.pdf

 


マッチ棒の先の燃える部分(頭薬)とは(塩酸化カリウム、硫黄、ガラス粉を膠で練ったもの)。
硫黄が使われていたのです。(今では硫黄を含まないか、入っていても少量のものがほとんどである、そうだ)。

火薬などの原料となる硫黄はかつては鉱山から採掘される貴重な物質であった。明治期中頃、知床の硫黄山はゴールドならぬイオウラッシュとなっていたそうな。

北海道で硫黄山といえばアトサヌプリ屈斜路湖川湯温泉に挟まれたあたり、噴煙と鼻を突く匂い、そこは今でもゴウゴウと音を立てていると。行かねば、うむ。


明治期中頃の10年間、釧路鉄道という会社があった。硫黄山の経営権を手にした銀行家の安田さんの経営。

明治20年安田財閥の祖である安田善次郎は、硫黄山標茶間に北海道でも2番目という鉄道を建設し、大量生産・大量輸送を実施したが、乱掘によって資源が不足し、わずか9年で幻のように消えて行った。
弟子屈町の歴史とあゆみ
http://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/05machizukuri/05gaiyou/rekishi.html


黄山は地質の影響からか樹木が育たず、古くは裸の山を意味するアトサヌプリと呼ばれたのですね。

標茶~跡佐登/41.8km 釧路線をクルマでたどる
釧路鉄道を訪ねて
http://pyoco3.c.ooco.jp/hokkaido/kusirotetudou/kusirotetudou.html


「旧安田鉄道跡地」を馬そりに乗っていく体験ツアーがあるとな、これは乗せていただきたいもものだ。


アトサヌプリ黄山の『ネイチャーホール』の展示では伝わらない
囚徒による川湯ーアトサヌプリ黄山の硫黄の採掘と、道路の開削工事の歴史、はこちらのサイトをどうぞ。
アトサヌプリでの本当の硫黄採掘の姿-博物館網走監獄資料より
https://blog.goo.ne.jp/goo5comodo/e/56bf1f391a1d94973446c34a9e7e8a04

 

駅はない、鉄道は消えた、枕木消えた、硫黄は今でもごうごう

 

マッチ製造は国の輸出政策として始動し、各地でマッチの製造が始まります。
北野工房のまち マッチ専門ショップ マッチ棒

http://match.or.jp/matchbou/about

 

 

大正14年に重要輸出工業組合法が公布され、マッチは同法の指定業種となりました。
電子じばさん館 http://himeji.jibasan.jp/match/domestic/index.html

 

明治期、生糸や絹に並ぶ日本の重要な輸出産業でありました。
ホッカイドウのハゲが日本を支えていた、ですかい?

 


マッチ擦る つかのま海に 霧深し ・・・・・
下の句を探しあぐねている、このごろです。

 

 

ホッカイドウのハゲ マッチ擦る日 1

f:id:bihoro009:20180815201409j:plain
※合成写真です

 

ホッカイドウと呼ばれて150年、その前の名前? 忘れたわ。今はね、ホッカイドウって呼ばれてんのさ。いろんな生き物が行ったり来たり住み着いたり、そうねえ、そう呼ばれるようになってからのことなんだけどさ、なんかこう、むずがゆいことが多くってねえ、それがあなた、たとえばさ、ハゲになったの、ところどころ薄くなった、つるつるになったとこもいくつかあって・・・・・

 

北海道の森林開発の歴史を読んでいますと、こんな愚痴が聞こえてきましたですよ。

北海道に限ったはなしではない、森林の開拓が過ぎると、洪水などの災害につながるのです。局所的大雨に河川は溢れ家はつかる、道は見えない、畑も消える、ご飯も湯のみも流される、へそくりも貯金通帳も、布団も枕も思い出のアルバムも家の権利書も、仏壇だって流れて消える、水が引いても使いものにならない家屋、治水を法律が誤らせる、ってことなんだな。民は食うために木を伐る、より快適な生活のためにさらに伐りたい、だから管理が必要になる、大局に立ち遠くを眺めやる人が必要だ。100年の計を立てるのは政治のおしごとですのに、この夏にひっそり?決まった某森林法、それからあんなことこんなこと、頭がハゲになりそうなことが立て続けに・・・待て待て、今回のお題はマッチであった。

 

マッチの軸、これに適した木がホッカイドウにはたくさんありまして、ヤナギ科の白楊樹(別名ヤマナラシ)やドロノキを丸太にして茹でて桂むきにしてマッチ棒にして港から出荷、大阪、神戸のマッチ製造業者がマッチに加工する。中国などアジア諸国にも輸出されるなど、マッチは明治期日本の重要な輸出品でした。こんにち生活においてマッチを擦る機会もめっきり減りましたが、明治大正昭和前期まで、煮炊きに暖とりタバコにお線香にとマッチはなくてはならないものでしたから、そうなんです、鉛筆にするためにオンコさんを伐りすぎたように、マッチにするためにドロノキさんたちも伐られすぎて、さてもホッカイドウは9割近くが森林で、道東においてはマッチの製軸工場があちこちに出来たのは明後期から大正あたり。


前回の鉛筆に続いて北海道の森林事業を小さなものから見てみよう、マッチを取り上げます。

豊富な森林資源をようする北海道は、マッチの軸木やマッチ箱(むかしは木製だったのです)の半製品を多くになってきた。それらの多くは神戸に送られそこから世界各国に輸出された。神戸以外のものが国内消費となっていたようです。

燐寸(マッチ)製軸業
マッチ製軸工場をネットで検索してみました。

1891(明治24)年  山田製軸所 網走村 明治30年には藻別村
1895(明治28)年  鈴木八重蔵製軸所 鐺沸村
1896(明治29)年  岩田製軸所 藻別村
1897(明治30)年  三東製軸所 澤木村
           斜里軸木製造所 朱圓村          
           神戸製軸工場 紋別オムサロ
1898(明治31)年    酒井製軸所 紋別村
           小松内製軸所 幌内村
1901(明治34)年  信太寿之 紋別新部
1902(明治35)年  鈴木浩気製軸工場 野付牛村
           丸玉製軸工場(現丸玉木材株式会社 津別)
1903(明治36)年  中沢製軸工場 遠軽

他には
湧別の柴田友蔵、釧路から訓子府に進出した草野製軸訓子府工場  訓子府町
西製軸工場のち大正7年に大東燐寸(マッチ)株式会社設立
森製軸所 杜製軸所 蛎崎製軸所 日本燐寸株式会社猿澗工場 など


北見は白楊の最大生産地、43年には18もの工場が乱立していたが、原料の欠乏により相次いで閉鎖。
44年に山火事で白楊が全滅すると北見の製軸事業も終わる.
大正期にはいると神戸に陸揚げされる軸木の原木は年々減少、ロシアからの輸入が急増。
さっぽろ自由学校「遊」/マッチ産業による有用樹の集中伐採より 
http://www.sapporoyu.org/modules/sy_html/index.php?f=chosa-yanagisawa


(社)日本マッチ工業会が昭和25年(1950年)に発刊した 『燐寸(マッチ)要覧』 によると、 大正初期から昭和3年ごろまでの軸木は、沿海州(現在の極東ロシア)の白楊(はくよう)が約90%、北海道産 ・樺太(からふと)の白揚およびドロの木が、約10%の割合で、輸入材の多くは、兵庫県内(主として神戸市内)の製軸(せいじく)工場で加工されたようである。
燐寸博物館 http://www.tanaka-match.co.jp/museum/kaisetu.htm


当時某マッチ会社から派遣された『軸木原木探究者』は栗毛の馬に跨って北海道の原野を跋渉し、宝庫の鍵を探し求めた
○燐寸盛衰記/並木六壷庵/神戸新聞/昭和2年
網走のマッチ製造業 http://hokkaidonobunka.sapolog.com/e4371.html
殖民の始まりとマッチ製軸業 ~先進的だった紋別地方開拓期の林産業


明治44年の網走港の総移出額は,37万ほどですが,その4割近い,10万円ほどがマッチの軸木の金額
http://houhouken.web.fc2.com/imanarikura.htm

 

さて、美幌町ではどうだったのでしょうか。
美幌町林業は古梅からはじまったといわれている。(美幌叢書第9号 入門 むかしの美幌)
1912(明治45)年に東洋燐寸(マッチ)製軸工場ができた。網走ー池田間に鉄道が開通したのです。
鉄道が開通するまでは古梅の白楊を網走川美幌川を使ってイカダを組んで流送して網走の大曲の山田製軸工場まで運んでいたのですって。しかしこの工場は1919(大正8)年に閉鎖と成りました。

東洋燐寸株式会社とはマッチ王と呼ばれた滝川弁三の東洋最大と称されたマッチ会社。

 

網走の港から神戸に向けて、兵庫県で生産されたマッチは神戸港から世界に向けて輸出された。
港、海、マッチの炎、
マッチ擦る つかの間海に霧深し・・・・


マッチ箱

マッチの箱は紙ではなく経木であった。
マッチの軸は木、そしてマッチ箱も昔は紙ではなくて薄い木でできていました。主に松燐寸博物館 http://www.tanaka-match.co.jp/museum/kaisetu2.htm

1954(昭和29)年には京都製作所において紙製のマッチ中箱を作る中箱製造機が完成し、経木の小箱から能率のよい紙製の小箱へと変化していった。
マッチの世界 http://www.match.or.jp/history/index11.html

経木とは主にスギ・ヒノキ等の材木を紙のように薄く削ったもの。駅弁や菓子折りなどの箱でおなじみ、納豆や刺身など食品を包むのに使う。プラスチック製に追われてしまいましたが、今でも目にすることはあります。復活望む。


つづく