漢字でワープ 2

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美幌の市街は南から北にかけてゆるやかな下りとなっている、
左に網走川、右に美幌川、2つの川が合流して三角形を作る。
地図でいうと画面下から画面上に川の水は流れ、網走方面に流れオホーツクの海に注ぐ。

美幌町アイヌ語「ピポロ」(水多く大いなる所)の転訛
アイヌ語に由来するが、「ピポロ」〔石・多い〕あるいは「ペホロ」〔水・多い〕の二説があり、特定しがたいとされる。(wiki)
アイヌ語は音韻として見る限り清濁の区別がない。 pet= bet (河川)、poroは(大きい、広い)


さて、それでは当て字に使う漢字のチョイスはどうでしょう。

ピには美、ポロには幌の字を当てて、ピポロもしくはビホロを「美幌」と漢字表記が決定された。

他にこんなのはどうでしょう、「備保呂」、おっと、たちまち何か違う世界に放り込まれたような、
日本の中世のイメージのような、

音読み訓読み重ねの湯桶読みでよければ「美穂芦」、
穂 ほ(訓読み)音読みは すい
芦 ろ(音読み)訓読みは あし
美しい穂とアシ、弥生文化圏にワープ。蝦夷に戻ってこよう。

明治時代に開拓農民などが入植するようになり、カタカナで表されていた地名を漢字で表すようになった、と大雑把に伝えられていますが、漢字を当てた蝦夷の地名はもっと以前の時代の文献にもあるようですし、
明治最初に一斉に一律に「漢字変換」されたというより、徐々に定まって行ったのが実情かもしれません。

北海道には幌の字がつく地名が多い、
「幌」は「大きい・広い」を意味する「ポロ」の当て字で、「幌」の字の持つ意味とは関係がない。
札幌、幌加内、美幌、佐幌 幌内 幌別など多数ありますが、何でしょう、お約束のようにホロといえば幌ですね、手抜き?行政指導?

穂や呂ではなくて幌の字を採用するとは、幌馬車など開拓の風景が喚起されるので好ましいと採用されたのかも?

こうして漢字を選ぶ係の人になって想像してみると、何がいいかな、ぴったりくるかな、と考えている時に、それはやはり、その土地のイメージにより近いものをチョイスしたくなるんでないかい?
地名を一つ一つ見ていくと、どうやら当て字で意味は無い、とばかりも言えないようです。

美利河(ぴりか)はアイヌ語地名では「美しい川」を意味する「ピリカ・ペツ」で、語意に即した当て字がなされている。シコツやキキンは死骨や飢饉を連想するので縁起が悪いと全然違うものに変えた、など。
「細長い沼」を表す「タンネ・トー」からとられた長沼町の意訳もありなど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/北海道の地名・駅名)

パンパカパーン
北海道庁主催による北海道地名、ナイスなチョイスコンクール、
意訳の部、最優秀賞はーー町、おめでとうございますぅ!!

町長挨拶
この度は、栄えある賞にお選びいただき、誠にありがとうございます。
今こうして受賞の喜びを語れるのは、漢字の伝来と開拓にご苦労された先人のお蔭だと思います。我が町住民一同誇りを持ってこの町名を守り受け継いでいく決意を胸に、町の発展に邁進していきたいと思います。

なんてコンクルールあったら面白いですよ。

漢字って甲骨文字の象形文字など調べると成り立ちがわかって面白いです。
広い範囲を仕切ることができる強い王様のなせる技、

コトバは音だけではなくて文字があると便利だよ、

 あってよかった文字表記、記録は歴史、勝者の記憶、

 

勝者、ですね、それって誰にとって便利なのか、
ということが気になってきたりもして・・・

つづく

漢字でワープ 1

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窓の風景が違いすぎる。
梅にメジロ、こちら本日の最高気温は8度の予報。北見あたりは最高気温はマイナス4度とな。

北海道の情報誌などで困るのは、地名が読めないこと。
てしくつ?違うな、これは、てしかが、弟子屈
なかひょうづ?いや、なんだっけこれ。
北海道来訪者はこのハードルを引っ掛けながら読み進める。
耳で聞き覚えたのでは無いと漢字で読んでしまう。


むかしむかしの「日本」に文字は無かった、少なくとも体系的な表記は無かったようで、
海の向こうから漢字が伝えられ、意味が同じか近い文字を自分たちのことばに当てはめてみた。
「やま」には「山」、「かわ」には「川」、文字で伝えることができるようになった。
かぜは風、ひかりは光、そらは空、天、ふるゆきは雪、水は氷る

日本語には漢字がある。漢字をもとに作ったひらかな、カタカナもある。
この広い世界、文字の有る言語と無い言語、があります。音だけではなくその音を表す記号があれば便利なのに、なぜ記号である文字が無いままで居られるのか、漢字学の本の編集を担当している方におはなしをお聞きしててあっさり納得。

つまり
そのためには王様がいるのです。

そうですね、それはそうだ、トップダウン。中央の絶対権力、ってやつが要るのです、文字を制定して広い地域で統一するトップが必要なのですよね。
あの町この村ところトコロてんでバラバラな使い方をしていると伝わりません、
度量衡もまさにそう、長さや重さなど、基準を定めないことには他とのやりとりができません。

日本地域に暮らす人々は、漢字が伝わって便利にしてきて幾年月、いろいろ求めて
当時蝦夷と呼んでいた大きな島に移り住むようになる。ここはどこ?なんというところ?
もとよりそこいらで暮らしていた土地の人々が名付けている地名を、漢字を使って表すようになりました。
ただし、意味ではなくて音を聞いて、似たような音になるように漢字を並べた、つまり当て字、意味は無い。

かくして、北海道の地名の多くはアイヌ語由来によるものとなった、今日ではこういう了解の仕方がなされている。
ふむふむ、それで読めないわけだ、おもしろい響きだとは思っていましたが、読みにくいのには理由がある、わけあって読みにくい地名、北海道に限りませんけどね。

日本語起源には様々なお説があるようですが、なべて何事も一色ということはないわけで、
コトバは横の広がり縦の広がりの織りなす模様、いろんな地域に暮らす人々の話す音が折重なりして受け継がれてきたのでしょうね。
北海道の情報誌は移住体験の入門テキスト、アンド
北海道の地名はアイヌ語の入門、ではないでしょうか。


さて、それでは当て字に使う漢字のチョイスはどうでしょう。

美幌町アイヌ語「ピポロ」(水多く大いなる所)の転訛
アイヌ語に由来するが、「ピポロ」〔石・多い〕あるいは「ペホロ」〔水・多い〕の二説があり、特定しがたいとされる。(wiki)

ピの音に美、ポロは幌
アイヌ語は音韻として見る限り清濁の区別がない。 pet= bet (河川)、poroは(大きい、広い)
 

つづく

白いドロップ

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ドロップ
砂糖80%と水飴20%
水飴によって砂糖の再結晶化が防げられてできた透明な外観が特徴(wiki)


国産ドロップが誕生したのは明治41年(1908年)のこと、今年で100周年。缶入りで発売されたサクマ式ドロップス
イチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、ブドウ、チョコ、8種類の味。何が出てくるかわからないところが面白さ、なのか、缶入りのパッケージは今だ健在。

研究に研究を重ね、ついに外国製品に負けないドロップが完成。新鮮な味覚と風味を生む独自の製法は「サクマ式製法」と呼ばれ、特許庁よりサクマ式ドロップス登録商標が認められた。(佐久間製菓のホームページより)

いいですか、サクマ 式 ドロップス。「式」がポイント。
缶入りのサクマドロップス、実は2つの別の会社から出されている。戦後に会社が分裂したすえのこと。
赤が基調の缶は、「佐久間製菓」が製造・販売する「サクマ式ドロップス
緑が基調のは、「サクマ製菓」がつくる「サクマドロップス」。こちらのサクマさんはまるくてちっちゃくて三角の「いちごミルク」が人気。

透明な外観が特徴のドロップですが、ハッカの味は白色。透明にあらず。
もともとハッカの原料は透明だが、飴に空気を抱き込ませる事で色味を白くしているのだとか。
子供の頃、私はハッカの白い粒が出てくるまで、いつまでも缶を振っていた。今でも缶を手にすることがあれば、きっと白いハッカ味が出てくるまで振ると思う。

サクマ式のハッカ、これはどちらの産地のものだったのでしょう。

 

f:id:bihoro009:20180118194647j:plain はっか豆の袋のイラスト

ハッカはハーブです、シソ科ハッカ属。ペパーミントやスペアミントなどは西洋ハッカと言えます。
ミントとハッカはお仲間、ということ。漢字で「薄荷」、ふーん、荷が薄い、ですか。大量の葉から採れる油はわずかな量、なのですと。

北見は美幌のおとなり、明治30年代頃から和種薄荷の栽培が盛んになり、往年には世界ハッカ市場の7割を占めるほど、北見の礎(いしずえ)を形成する重要な産業となった。北見のハッカ製品を手広く扱うのは北見ハッカ通商、どの品もパッケージはペパーミントグリーン。

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ハッカ油の瓶はおなじみですが、ハッカの結晶もおすすめ。ハッカ油をじっくり冷やして結晶化させたもの。
ハッカ油の主成分はLメントール、和名では薄荷脳、さわやかで特異な香りがする無色針状晶。

色が無くて針の形状のハッカの結晶、「薄荷脳」と呼称されてきたようですが、はっかのう?脳?ノウ?
脳、という漢字は今では頭部の脳に限定されがちですけど、この脳とは髄脳、最も重要な部分。 奥義(おうぎ)。心髄。の意味で使われているのですよね。
そうなんだ、結晶とは奥儀なのか!
単にハッカ結晶というより意味が伝わります。含らみを感じる。
(とは言ったものの、薄荷の脳、漢字で書くと、ちょっとツライですかね‥)
匂いでいうと樟脳も脳ですね、クスノキ中に含まれ,材片を蒸留して得られる特異な芳香のある無色透明の板状結晶。樟脳、という言い方は今あまり耳にしなくなりました、なんでしょうね、言語から意味が見えなくなっている。ミントだメントールだ、と言うから分からなくなるんでないかい、と控えめながら苦言を呈しているページを発見。
薄荷を探究する北見ハッカ通商ホームページ
素朴な疑問にお答えします
http://www.hakka.be/role/faq.html

薄荷脳は無水エタノールに溶かして使います。ポリスチレン(PS)容器は不可。
芳香剤、虫除け、入浴剤、多方面に活躍することでしょう。
蟻の大群にまいておいたら跡形も無く消え去った、との報告あり。
体験住宅の洗面台のフェイスタオルはハッカの香りがしました。

スズランとカエデ

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美幌駅あたり、ゴマ油風味の海苔、のような甘い匂いが漂っている、
駅の裏に砂糖工場がある、甜菜から砂糖を作っていて、日によって匂いが違うらしい。

美幌駅に併設されている物産館ぽっぽ屋で、砂糖の袋をお土産にすすめられる。
これまで小分けで販売されることがなかったのが、300グラム入りで発売されるようになったとか。
北海道オホーツク ビート含蜜糖 日本甜菜製糖株式会社
「スズラン印」、である。
日本甜菜製糖株式会社、北海道を生産拠点として製糖事業をおこなっている。略称は「日甜(にってん)」または「ニッテン」。1959年(昭和34年)10月 - 美幌製糖所完成。(wiki)

 

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 砂糖の袋に見るブランドのマークで思い浮かべるのは「ばら印」や「スプーン印」などです。塩や醤油や味噌でこれほどまとまったブランドイメージがないことを考えると、製糖業の発足や発展は大きな資本によるものだということでしょうか。

甜菜(ビート)から砂糖ができるまで
日本甜菜製糖(株) 美幌製糖所
https://www.youtube.com/watch?v=IXz5KwA-vsE

 

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美幌はお菓子屋が多いように思われる。

美幌町で甜菜の栽培が奨励されたのは昭和30年代からのこと、
砂糖工場とお菓子屋に関係があるような、さほどないような。
体験住宅に近いのはひらの菓子司。
この店で一番長く扱っているのはどれですか?サイロのこれなどは?
そうですねえ、それはよそから引き継いたものですけどねえ。
おっとりとしたお返事、一番古いのは、うちですかねえ、ひらのさんは創業100年だとか。

 

f:id:bihoro009:20180116101818j:plain 赤のは無かった、次回トライ

物産館で購入した瓶入りメープルシロップ美幌町のカエデから採取するシロップ。
赤と緑のラベルがある。緑のラベルは「オホーツクメープルシロップ」こちらはイタヤカエデから採取、赤のラベルは「びほろメープルシロップ」カラコギカエデから。瓶正面に貼られたラベルデザインを見ると葉の形が違うことは伝わる。

お箱は無い、簡素で結構、
瓶の裏を見る、品名、樹液原木名、正味期限、内容量、保存方法、生産者、販売者、必要であろう事項がただ列挙されている、

体験住宅情で報誌「HO」(Vol.106)を読み、赤のラベルの貴重なことを知る。
「誰も樹液を採れるとは思っていなかったカラコギカエデ」から試行錯誤の末ようやくたどり着いた樹液の濃縮法、なのですと。今年(2016)御年80歳になられる元酪農家の翁が代表をつとめる美幌町樹液研究会が、北海道の助成を受けて5年計画で1万2千本のカエデを植える。

「これで将来の基礎が固まります」

木を植える、育てる、遠い先まで見ていないと出てこない言葉ですよね。

美幌町の名物が将来は世界一になることを目指す、と代表は笑顔で語る。代表ご夫妻の遠大な理想を込めたシロップなのですけど、物産館の売り場では、冷蔵のガラスケースに、箱も無く能書きも無くウンチクもわからず、ただ瓶が並んでいたのでした。

故事来歴などを書いた紙を麗々しくお箱に入れる付加価値の付け方はその商品を物語ります。しかし、また、
実力というか実態以上に見せかける雰囲気作りで購買欲を喚起させる商いが行き詰まっているようにも感じています。見せかけ、今だけ、が大手を振って歩いている世相。

コストの面も勘定に入れねばなりませんが、代表の志が伝わるメッセージカードくらいあった方がいいようにも思うのでした。美幌のお菓子でこのメープルシロップを使ったものを並べて置いてあれば、ほう?と、手に取る人もいるのでは。物産館の棚づくり、そのような試みがなされる時もあるのかも、しれませんが。

 

 

雪の絨毯

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美幌役場の掲示板の人口統計表/電子ではない、特太明朝が力強い

 

本日体験住宅退出の日、
利用者は希望すれば役場の担当の方が住宅と空港間を送迎してくださるのですよ。
利用希望は夏が多く申込者は抽選の門をくぐるけど、それ以外では空いている時もあるようで、役場担当課に問い合わせてみると様子が伝わります。私は美幌滞在はこれで4度目、役場の体験住宅の利用は2度目、冬を体験してみようと12月下旬から1月上旬にかけての滞在を試みたわけです。

空港で予約していたレンタカーで市街地に入る。
美幌は空港に近いことが大きな魅力。バイパスを飛ばすと10分ほどで美幌の端っこが見えてくる。
12月、美幌はすでに雪に覆われていた。これまでとは違う風景に、数度の訪問でつかみかけてきた町の構図がおぼろになる。
曲がり角の目安が雪に消える、
車道と歩道の区別がつかない、
公園と民家の境も消える、
町が一枚の雪の絨毯となっている、運転席でうろたえる。

除雪車の活躍で道路表面がすっかり見えている幹線道路と違い、
町中の道路はどこも雪で覆われている、誰の屋根にも同じように雪は舞い落ちてくる。
降り始めの時はタイヤの溝の模様が帯状に走る、溶けてきたところが固まると厄介だ。
ここいら辺りは家家を分ける塀があまり無い、せいぜい低い垣根があるくらい。
降り積もる雪で家のまわりと道とがひとつながりになる。
雪国の暮らしのお作法、玄関のみならず自宅前の歩道まで雪をきっちりかく、ところもありますが、雪の降る期間は長い、始終書いているわけにもいきませんしね。北海道庁のデータによると、美幌は平均の降雪量は100センチ、札幌は140〜190。

なだらかな雪のひろがりに、雪のない景色の記憶を重ねて方向を定める。
轍でぬかるんでいる上をしずしずと車で進む。
北海道は札幌などの都市圏でなければ移動はくるまが基本、
道を歩く人の姿はあまりない、

車で移動すると気がつかないことはたくさんある、
町を歩いてみることにした。

 

f:id:bihoro009:20180111143502j:plain 拡声器搭載の街灯

どうして郵便局が音楽を流しているのか、立ち止まって道路の向こうを眺めた、
道向こうに美幌郵便局があるあたりに来るとどうも騒がしいとは思っていた。
街路の拡声器から流行歌が流されているらしい、美幌駅前の通りでも流れてくる。
なべて世のコンビニはいつも騒がしい、店内BGMで 繰り返しすことで広告効果を高めるためですが、商店街に近頃流行る歌を響かせることは活性化が動機なのでしょうが、効果のほどはどうなのでしょう。
なんだかなぁの空振り感、そこを足早に通り過ぎる。

歩く人もほとんど見かけない白々とした除雪の山々の谷間、
何かしら賑やかな音がしていると心が明るくなるのかな、一つパッと賑やかに歌でも、ということかな。

小麦の穂2

f:id:bihoro009:20180109194722j:plain 町の大通りに風見鶏

 

 今日、北海道は国産小麦の一大生産地ですが、北海道小麦のブランドの源に多くの先人の苦労があるわけで、
忘れられてしまったパンの王様のはなし。
戦前、マルキパンと呼ばれたパン屋があった。


イースト菌はパンをふんわりと焼き上げるためにとてもよく働く菌だ、
パン生地の発酵に向いた酵母を人工培養したもので、天然酵母に変わりはない、そうである。
安定した発酵が短時間でできるので機械任せにできて、大量生産も可能となった。味も安定した。
イースト菌国産化に成功して、イースト菌による製パン業とパン製造機械化の道を開いたのがマルキパンの水谷政次郎。

北海道の小麦が最もパンづくりに適していると知るや、丸瀬布、千歳、小清水村、北海道に小麦の大農園を興す。しかし、戦火による工場の焼失などの躓きが重なり、敗戦後は北海道の広大な各農場は農地解放の対象となり、彼は失意の中で1945(昭和25)年、小清水村でその生涯を閉じた。享年73歳。
小麦問屋に丁稚奉公をしていた時に初めて口にしたパンの味、そこから半世紀、パンと小麦を求め駆け抜けた人、政次郎が農園を開いた小清水は美幌のとなりのとなりに位置する、北海道に託した夢の小麦は今も小清水に輝く。

マルキパン、正確にはマルキ号製パン。
牛乳店を経営していた伯父木田卯作の後をつ継ぎ、木田の木を採ったマルキの屋号も引き継いた、こうした経緯があり、正しくは、もしくは本来は、マルキ号製パンであるようだ(商標は丸囲みにカタカナのキ)。
パンとチチ、パンと牛乳を組み合わせたミルクホールが大阪で大繁盛、日本のパン業界の重鎮とまでなった彼が戦争の時局に翻弄される様に読むのが辛くなる、しかし政次郎とゆき、創始者夫妻のおおらかなやりとりには味わいがある。
マルキパン、で検索すると全国にその名のパン屋がいくつもあるようですが、マルキ号製パンに勤めていた職人たちの形跡かもしれない、かと思うとまた楽しい。

小麦の穂

f:id:bihoro009:20180108224302j:plain mono森音の棚にあった付箋
 

町の中ほど、駐車場の中に取り残されたような古い民家が一軒、雑貨屋「mono森音」。

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床をはがしての改装の話などを店長にうかがう。
2年ほど前までカフェを併設していた時は水回りの手当が大変であったのだと。
寒さの厳しいところは水との付き合いが苦労である。

水が凍る寒さの土地での暮らしにつらつらつらおもいますが、
ところ違えば基本も揺れる。
氷とは水が固まったもの、これは「水」が基本の発想
水とは氷が解けたもの、これは「氷」が基本の発想

たてものの造作の話題はコンテナハウスの雑貨屋「near.」におよぶ。
町からやや離れたエリアにある、本職は農家、土日祝だけの営業だとか。

体験住宅にバックナンバーが揃っている『HO [ほ] 』(北海道の総合情報誌)、
雑貨と農園芸用品のお店「near.」は、2016 9月号 Vol.106に紹介されている。
「小麦の穂が色づくと、きれいなんですよ。この景色も見てほしくて雑貨店を開きました」
雄大な風景と長靴が履きやすいように工夫されたパンツ、行ってみたくなる組み合わせ。


小麦、そうだ、
美幌図書館で借りた本
『水谷政次郎伝 マルキパンの光と影』水知悠之介 新風書房 1988年

戦前、マルキパンと呼ばれたパン屋があったこと

大阪の商人水谷政次郎、「東洋のパン王」と言われた大実業家がいたこと
パン業界の重鎮でその人は丸瀬布、千歳、小清水村に小麦の大農園を経営していたこと

 

マルキパンのこと つづく