せんべいの記憶3

f:id:bihoro009:20180107192317j:plain 美幌小麦中太ちぢれ麺の包装デザイン

 

 

むかしの名所は今でも名所か、16枚それぞれをネットで確認してみました。

マッカウス(光苔)
風蓮の白鳥
クシロのタンチョウ鶴
神秘の摩周湖
クシロ駅
阿寒のマリモ祭
ラウス岳
クワンノンの岩
ノツケのエビ漁
風蓮の白鳥
ノサップの灯台
ペキン
屈斜路湖
ロウソク岩
車石
啄木の碑

16枚のうち風蓮の白鳥が2枚あります。
名称は同じだけど絵が違うのですよ、湖に浮かぶ姿と湖上を飛んでいる姿と、
なぜでしょうか、道東の名所は他にもあるでしょうに。

眼下に屈斜路湖のパノラマが広がる美幌峠、は屈斜路湖でまとめられ、
釧路湿原はタンチョウ鶴で描かれ、
オホーツク海の船舶の安全を見守った網走市の能取岬灯台ー1917(大正6 )年初点灯は、
1872年(明治7年) 初点灯の納沙布岬灯台に勝てず、
網走刑務所が映画「網走番外地」で人気になるのは戦後、
紋別市の流氷を楽しむ余裕は無かったのか。

いやそれよりですね、
鋳型は戦後間もなくの頃よそから買ったもの、だという前提で名所せんべいの話をしてきましたが、
一枚一枚を丁寧に見ていくうち、
あれ、ちょっと違うんでないかい、という懸念というより不都合な事実をクシロ駅に見ていまして、
近代的な構造のビル建築、戦前のようには見えません。
Wikiでは駅舎がビルディングのこのスタイルになったのは1961年(昭和36年)とありまして、
えーっと、まあ、名所の歴史は長く、これくらい誤差の内、としておきます・・・
鋳型を置いて焼き菓子を作る機械が昭和20年代のものだ、という話だったのでしょうかしら。

ともあれ、
選ばれた名所はより多くの人の思い出に残る姿をしています。
人々の記憶が土地の名所として語られ描かれる、かくして名所は地元せんべいとなって記憶されていく。

 

● 

 

 

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マッカウス(光苔)
幻想的な光を放つ「ひかりごけ」が自生する洞窟
夏季にはエメラルドグリーンに輝く。冬期は洞窟内に観音像風の氷柱も見られる不思議な場所として人気のスポット。

マッカウスとは、アイヌ語の「マカウシ」蕗(ふき)の多い所。
北海道応援のブログ
https://ameblo.jp/nomaru1256/entry-12137659011.html

 

 

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風蓮の白鳥1
毎年10月中旬になると数千羽のオオハクチョウシベリアから飛来し、風蓮湖は日本最大の白鳥飛来地となる。不思議な気配のこの湖は海水と淡水の入り混じった湖、オホーツク海と繋がっている汽水湖

 

 

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クシロのタンチョウ鶴
釧路市丹頂鶴自然公園はタンチョウ鶴の保護増殖を目的として1958(昭和33)年に設立。絶滅の危機にあるタンチョウを保護増殖するため、釧路市鶴丘に5羽のタンチョウが放された。

 

 

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神秘の摩周湖
「摩周ブルー」と呼ばれる、バイカル湖についで2番目に透明度の高い湖。
1960年代にヒットした歌謡曲霧の摩周湖」により有名になったといわれてる。

注ぎ込む川も流れ出る川もないのに水位はいつも変わらない不思議な不思議な湖は、多くの時間を霧が包み込みなかなか姿を見せてくれませんが、ふと千変万化のごとく美しく神秘的な姿を現します。
弟子屈なび
http://www.masyuko.or.jp/pc/sightseeing/masyuko.html

 

 

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クシロ駅
1961年(昭和36年)8月1日:民衆駅の駅舎に改築。RC構造地下1階、地上4階。
釧路市地域史研究会 『釧路市統合年表:釧路市阿寒町音別町合併1周年記念』 釧路市 、2006年10月)

 

 

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阿寒のマリモ祭
まりもは大正10年に天然記念物に指定、阿寒湖畔で行なわれる『まりも祭り』は、絶滅危機の国の特別天然記念物のまりもを保護する目的で昭和25年から開催されているイベント。
ですから、どうも戦前生まれの鋳型、では無いようですね。

 

 

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ラウス岳
知床半島にある最高峰で標高1,661 m。1964年(昭和39 年)に知床国立公園に指定され、2005年にこの山域を含む知床半島が知床 (世界遺産)に正式登録された。

 

 

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クワンノンの岩
知床岬のほど近くにある観音岩は、アイヌ語でレタラワタラ(白い岩)という。そのフォルムはまるで仏教美術の観音様だ。
たびらい
http://www.tabirai.net/sightseeing/column/0005099.aspx

 

 

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ノツケのエビ漁
三角の帆の打瀬舟、明治時代から変わらない漁法、
シマエビの住処であるアマモを傷つけないように、エンジンを止め帆を立てて風力で進む曳網漁。

 

 

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風蓮の白鳥2

 

 

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ノサップの灯台
根室納沙布岬。北緯43度23分、東経145度49分に位置する日本で一番東にある岬。
北海道最古の灯台、1872年(明治7年) 初点灯。

 

 

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ペキン
モイレウシ川から 1.5 km ほど北に進んだところで海に注ぐ「ペキン川」という川があり、その河口から 0.5 km ほど北に「ペキンノ鼻」という岩岬があります。
Bojan International

http://www.bojan.net/2015/05/24.html

北海道にペキンとはなんのことか、こちらのサイトでペキンの場所を知りました。

 

 

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屈斜路湖
阿寒国立公園にある阿寒湖、屈斜路湖摩周湖の3つのカルデラ湖のひとつ。日本国内最大。面積79.7km²、周囲57km、周囲を300~400mほどの絶壁に囲まれる。中央に大きな島が座る。

 

 

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ロウソク岩
同名の岩は日本全国あちこちに存在する。wikiには積丹にある奇岩の記述のほかに北海道にあるとして5箇所が紹介されている。利尻、苫前、瀬棚、厚岸、釧路。道東の名所だから厚岸か釧路のどちらかでは。

 

 

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車石
根室半島花咲岬。1939年(昭和14年)9月7日に、国の天然記念物となった。
直径は6メートルにも及びぶ。マグマが冷えて固まってできた粗粒玄武岩
中心から外側に向かって放射状に広がる模様の岩の車輪が
下半分が地面に埋まっているかのような姿はこちら↓。
北海道マガジン
https://pucchi.net/hokkaido/trippoint/kurumaishi.php

 

 

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啄木の碑

しらしらと水かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな

 

石川啄木釧路駅に降り立ったのは明治41年1月21日の夜でした。 啄木は釧路新聞の新聞記者として76日間滞在し、その後、船で釧路を後にしました。
僅かな期間ではありましたが、新聞記者として社会論説や連載に精を出し、数多くの歌も残しています。現在釧路市内には啄木歌碑が27基ございます。
釧路観光コンベンション協会
http://www.kushiro-kankou.or.jp/takbok/

 

啄木の碑は全国に散見されるようで、北海道だけでもいくつあることやら。
図柄の形状から釧路の米町公園のものと認定。1934(昭和9)年建立。

1907年5月から1908年3月まで北海道に滞在。1年足らずの間の職歴。
函館商工会議所の臨時雇い
函館区立弥生尋常小学校の代用教員
函館日日新聞社の遊軍記者
北門新報社の校正係
小樽日報社の『小樽日報』記者
釧路新聞 (現在の北海道新聞社)に勤務

気まぐれ、確執、不遇、しかし捨て置かれない人柄であったのでしょうか、次々職を得ている、とも言える。
創作活動へのあこがれが募り、釧路を離れた、ようです。
1912年明治45年4月文京区小石川(旧久堅町)の地においてわずか26歳の若さで亡くなりました。

せんべいの記憶2

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十島せんべい店の近くにある山本菓子舗、3代続く和洋菓子店。
パイ生地のおまんじゅう「美幌ロマン」の包みのデザイン、方位図の下に北緯43度35分の旅とある。
美幌の位置は
東経自 143度54分57秒・至 144度20分09秒(東西 33.8km)
北緯自 43度35分44秒・至 43度53分29秒(南北 32.9km)
では、35分とは?
こちらで名所せんべいの小売しています。ご親戚だとか。


「ロマンス製菓(昭和22年に津別町で開業)の下請けとして作ってたんだよー、
以前のものはカニの粉末が入っていたけどねえ。」
十島せんべい店では5、6種類のせんべいを商っている。出来上がりは一斗缶に入れておき、よそに出す小売分は袋詰めして積んでおく。名所せんべいを買いに来たというのに「こっちがいいよー」とカニの図柄のかにせんべいをすすめられた。

道東の名所せんべいの鋳型は、敗戦後間もない時に買い取ったもの、であるなら
それではいったいいつ製造されたのでしょう。
せんべいなどの焼き菓子の鋳型が作られるようになったのはいつ頃のことでしょうか。
最中の皮は明治期以降に現在の形の皮が完成したようですが、凸模様の美しいせんべいには150年続いているものがあるそうです。
私が八十島せんべいの名所せんべいに感銘したのは、商標や抽象的な図案ではなく、刻印されている模様がかくも具体的だということに対してなのです。
和菓子に見る抽象的図案とは洗練されたものですが、あくまで具体的にその名所を簡潔に彫った、具象という別の方向に打って出て何十年、来る日も来る日も焼き続けたその年月。
それでは道東のどんなところがせんべいの図柄として選ばれたのか、16種類一枚ずつ見ていきましょう。

つづく

せんべいの記憶1

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道東の名所がせんべいになっている。
美幌の老舗煎餅屋「八十島せんべい」で購入した。
16の名所の図柄が入って250グラム500円。
数にして40枚足らずほど。道東の名所が16枚のせんべいで楽しめる。
十島さんのお話によると、
鋳型は昭和二十年代前半だったか、廃業する店から買い取った、
袋詰めにするとき適当に入れてるので必ずしも全ての絵柄が揃ってるわけではない、
とのこと。

鋳型を見せていただく。長年せんべいに名所を刻み続けてきたのですねえ、エッジが甘くなっている。

これら(鋳型1枚に16種類の型が彫られていて、同じ鋳型が4枚)が使えなくなるとおしまい、だって。

名所の詰まった一斗缶開けて絵柄が16全部揃うように選んでくれた。
全種類違うのがいい、なんて言われたのは初めてだよ、って、
珍しがられたわ、こっちこそびっくらだわ。
宣伝します、と言ったら、いやーいいですよ、だって。

名所の紹介はつづく

つらら考

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明るい空に雪が舞う

南向きの窓に太陽の光が差し込む。日の光が雲の向こうに輝いている。しかし雪は降っている。
明るい雪降り、曇りではなく晴れの雪とは妙なことだ。

体験住宅の軒下につららが並んでいる。アスパラほどのつららの列の中にゴボウほどに成長しているのがある。室内の石油ストーブが置かれているあたりに発生したものだ。

つららができるのは何故か、
太陽の熱で雪が溶けて夜間に冷えることだけではなく
室内の熱が屋根裏に伝わることで屋根の雪が溶けるから、
であれば、家の断熱の状態はつららでわかる、のかもしれない。


美幌町巡回バスに乗って町を一周した。
家々のつららの発生具合を窓から眺める。
多く見られる屋根とほぼないのとある。
滑りやすくするペンキが塗られて滑りやすい角度の屋根には雪があまり無い。
もはや人の住んでいない様子の家の屋根はつららの具合は上々のように見える。

旧美幌簡易裁判所

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最寄りのセイコーマート(ほぼ北海道だけに展開するコンビニチェーン)に行く途中、気になる建物がある。

美幌簡易裁判所
昭和二十二年1947年設置、昭和三十五年1960年に新築移転、昭和六十三年1988年簡易裁判所の統廃合により廃止。現在は使われていないようで、低いコンクリの塀は崩落が痛々しい。
庁舎様式の簡易形とでもいいましょうか、長方形の箱に切妻屋根、外壁はモルタル、直線的でこれといって装飾は無い。室内の床・壁・天井はどうなのでしょう。グーグルの航空写真で見ると、屋根はサビが目立つ。
廃止された後はどうだったのか、リノベして利用する話はないのでしょうか。気になる。

百年史によると
民事事件取扱状況
昭和六十年次 訴訟35 和解1 督促324 催告3 仮差仮処分ー などなど。

 

雪道は溶けると氷になりやっかいだけど、昨晩からの降雪でさくさくと歩きやすい。

あれ?黒い点、一面の白い雪の上、黒い粒が動いている。触覚がグリグリ動いている、遠目に見るに体長2センチくらいか、これ、何という虫だろう、なぜ雪の上に蠢いているのか。

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リンナイチャシ2

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曇り時々雪の中、柏ヶ丘公園に行ってみた。
C5822号機関車が屋根付きで置かれている。これぞ「汽車」、石北線など道東を走った勇姿でありましょうか。
そのそばの立て看に「犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域の力」。すっくり立つ縦書き。
できればもう少し汽車と離れた位置にあれば、と思いますけど。

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さらに雪を踏みしめ展望台を目指す。

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「遺跡 リンナイチャシ」石碑に縦書きの案内を仰ぐと、錆びた鉄階段と剥げたコンクリートの年季の入った展望台がある。カンカン靴音を響かせて登りますと、広がる雪景色美幌町、白樺の向こうに野崎団地、ぐるりと振り向けばスタジアムライトの向こうは町の陸上競技場、冬は雪なのでスキー場の模様。

体験住宅からここまでの間、直線にして600メートルほど、
コンビニは無い、うっかり駄菓子を買わないで済むのでよろしいような、そうだ、この町がスキッと好ましいのは町中に大手のどでかい看板が見えないからだ、ハンバーガー屋やコーヒーのチェーン店が視界に無いと清々しい、とは勝手な言い草でしょうか。
この町のカフェで足がむくのは中島珈琲美幌茶房です。

ビボロの鎮守

リンナイチャシ

f:id:bihoro009:20180101220208j:plain 美幌町百年史より

 

体験住宅から西に歩いて10分ほど、丘林が見える。小高いところにあるのは美幌神社、大正九年創立。一帯に柏ヶ丘公園やスポーツセンターがある。


公園の一角に展望台があるそうで、見晴らしが良いらしい。
美幌町百年史によると
チャシとはアイヌ語で「砦」、リンナイとは網走川の古い呼び名で「リル・ナイ」「潮の入る・川」、
網走川沿いの要衝にある砦ということ。ビボロアイヌの鎮守の地、霊地でもあったという。

明日の美幌の天気は上が0度下はマイナス5度 曇り雪
それほど寒くないようで?砦に上がって雪景色を眺めてみようか。