漢字でワープ 3

 
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西暦1854幕末に出版された『アイヌ語単語帳』掲載の北海道周辺図
蝦夷 韃靼 唐太 西ヱソ海 東ヱソ海 などの表記がみえる

 

北海道といえば酪農の風景が浮かびます、日本の生乳生産を支える北海道の酪農。
羊に関していえば昭和20年から30年のピーク時には、全道に50万頭以上いたといわれる羊だが、現在の飼育数は約4千頭にまで減ってしまった、ご家庭の食卓でおなじみジンギスカン、羊肉ほとんどは海外からの輸入品だとか。盛り返そうとガンバル羊飼いたちの創意工夫はこちらをどうぞ。
(特集 羊とジンギスカン http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200307/special_00.html

美という漢字は羊の姿をかたどったもの、こういうのを象形文字と言いますが、
象形文字や記号で占いをしたことが漢字の始まりなんですと。

漢字は3千年より多分もっとむかし、王様の威厳を示すための占いから生まれた。
王を王たらしめているのは神の意志を知ることができるという特殊能力である、
神のお考えは文字を刻んだ骨に現れるのだ、ということですが、現れるって言ったってさ、亀の甲や牛の骨を火で炙ってできた単なるひび割れなんですよ、それに箔をつけているのが刻まれた文字、ここがポイント。
ひと読んで「甲骨文字」。

俺は王だ、すごいんだぜっ、皆の者ひれ伏せ、
権威の維持のための儀式の道具だったわけですね。

それからさらに数千年経った頃、キングオブキングである皇帝が絶大な権力で漢字を体系化した。
字典・字書編纂を命じ、統一文字を普及させたスーパーキング、それは秦の始皇帝
万里の長城造築、度量衡など規格統一、全国共通の文字を制定、すごっ、てお方。


なぜ羊?羊が生存のための糧である暮らし、という地域だったいうことになるのでしょうか、
生存が厳しいと大きなものは豊かさを感じさせるのだ、断捨離など文明の病はまだはるか先のこと、
大きいことが美しい、という感じ方であったという。

羊いつから?北海道の酪農はいつ頃始まったのか、北海道庁のサイトを見てみました。
北海道農業発達史年表
天正16年(1583年)・・・<畑作の起源>
文化 2年(1805年)・・・<馬牧場の起源>
安政 4年(1856年)・・・<農具移入の初め> <搾乳の起源>
安政 5年(1858年)・・・<牛牧場の起源>

明治 6年(1873年)・・・<バター、粉乳製造の起源> 
明治 9年(1876年)札幌農学校を設立、米国よりクラーク博士招聘。

あれ?畑も馬も牛もバターも<起源>とりりしく紹介されているのに、
無いじゃないですか、ヒツジ。

同庁を出て、別の門をくぐりました。

明治6年(1873年北海道開拓使エドウィン・ダンが牛と羊を引き連れてアメリカから船でやってきた。明治9(1876年)には札幌南部に真駒内種畜牧場(牧牛場)、西部に牧羊場を設置して指導、北海道の牧羊の基礎を築いた。このとき導入した羊は、全身が白くモコモコとしたスペイン原産の「メリノ種」で、目的は羊毛。

同庁のページにも、「明治6年・エドウィン・ダンを米国より招聘」とありますが、羊の記述は無いですね。メーメーの羊毛でお世話になりましたのに、没有(メイヨウ)ですかい。(没有とは中国語で「無い」)

美幌のビはこのへんにして、ホロ、ホロとはなんだと調べていたら保呂駅というのにヒット、
樺太、唐太、現サハリン
カラフトの語源はアイヌ語で、カムイ(神)、カラ(造る)、プト(河口)の説あり。
保呂駅は樺太豊栄郡白縫村に存在した鉄道省樺太東線の停車場、鉄道の駅名。

1927年(昭和2年)11月20日 設置。
1945年(昭和20年)8月 - ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、駅も含め全線がソ連軍に接収される。
4月1日 - ソ連国鉄に編入。ロシア語駅名は「ドゥジノ」。


駅名 保  呂    

累計キロ程 138.8 

開業年月日 昭和2年11月20日

ロシアにおける累計キロ程および駅名 139.061 ドゥジノ
(出典 https://uub.jp/arc/arc78.html

ロシアではドゥジノ、ですか、今もその名であるのでしょうか。
そもそもなぜホロなのか?ホロという読み方、もとよりそこいらに、暮らしていたか狩りや商いをしていた人々が口にしていたのか、それに保呂という当て字をしたのはなぜかな。幌一文字だと座りが悪いような、というほどのことだったりして?

ネットで現在のサハリン鉄道路線図を軽く見ていましたら、駅名にポロナイスク発見。
樺太であった時の名は敷香、シスカと読みます。この土地のことはまた後日話題にするとして、
北海道の北に位置する大きな島、樺太、カラフトと読みます、今では日本ではありませんが、むかしの名前で出ています、今はロシア領サハリン

サハリン さはりん Сахалин  Sahalin 
もともとは満州語の「サガリェン・アンガ・ハタ」(「黒い川の河口の峰」の意)からきている。「黒い川」とは黒竜江アムール川)をさす。
日本大百科全書(ニッポニカ)[編集部])

サハリンは、北方民族ツングース語で、サハリン・ウラ・アンガ・ハタ("黒龍江口の山"という意)から呼称されるようになったもので、ロシア語ではありません。
一般財団法人 全国樺太連盟 http://kabaren.org/karafutowoshittekudasai/

名前の変わるたびにさよならを言ったわ、その時その時よ人生って、てな感じですかね。

漢字でワープ、漢字変換のキーを叩いて、美幌から海越えて樺太まで来てしまった。あと一つだけ、
美幌滞在中でのことですが、「国境」を振り切り想像力の限界まで飛びそうになった瞬間がありましたことを最後に。

「国後のネコ」

あたし、クナシリからの引き揚げ

ん? くなしり、クナシリとは、えっとー、

北方領土の、ホラ、

えっ? あっ、えっ、そうなんですか、あ、そうなんですね 国後!

そのご婦人は子供の時クナシリに家族と住んでいたが、敗戦で引き上げることになった、
ということですが、社会科で教わった「北方領土」とやらが急に実体を持って目の前に立ち上がってきてしまった。
その頃は日本が仕切っていたのですが、追い出される事情ができてしまいまして、
そりゃもう四の五の言わさずで出ていかなくてはならなくて、持ち出せる荷物も限られて、なのでした。


急なことだったのですよね、まだ小さかった、そうですか、何か、これだけは持っていきたいと思ったものはありましたか?お人形さんとか?

ネコ、飼ってたネコ、こう前足をかけて覗くようにこっちを見てた、
ネコ、持ってくわけにもいかないもの

食べ物の商売をしてきたから、生き物飼うわけにもいかなくて
ネコ飼うことはなかったねえ

まずアバシリに引き揚げて、それからこの町にお嫁にきて
ずーっと働いてきたよ

こないだお医者さんに行った時、
おや、ネコちゃんですね、と言われた、
ネコの顔がいっぱいついてる服着てたから、あはは