0番は美幌郵便局

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4丁目セントラの値札
ビホロ3−5188とある 現在の番号は0152−73−5188

クルマが主な移動手段になるまでは馬がカラダや荷物を運んでくれた。
手紙などの便りは郵便の仕組みが始まり整うまで、駅逓という施設を利用したようです。駅逓、ある時は宿、ある時は配送所、物や人の移動を大いに助ける、地域に郵便局ができるまではその業務も兼ねた官営の施設でした。

日本で初めて郵便局が設置されたのは、1871(明治4)年。各地の名士や名望家で、郵便局設置のために土地や建物を自ら無償で提供した。そう、局長は町の名士様。皆様の安心と信頼を礎に140有余年にわたり郵便・貯金・保険のサービスをご提供。

駅逓設置は美幌においては明治1900(明治33)年、場所は東2条北2丁目(現在の役場庁舎のあるところ)、初代駅逓取扱人は青山三七さん。1904(明治37)年に郵便局が設置されるまではその業務もご担当。
美幌駅逓所跡画像はこちらをどうぞ
(道東の釣りと旅 駅逓跡と記念碑を巡る旅https://www.kitakaido.com/niufiles.html

手紙や荷物はこうして届けられるようになった。
物体ではないものは?考えや思いを運んでくれるのが電話、
パソコン、スマホが無い頃、電話などの通信設備がその願いをかなえてくれる有り難い仕組みだったのです。

美幌の市外局番は0152 市内局番は7x  
美幌局(1931年昭和六年四月)加入者名簿によると
0番は美幌郵便局 1番は的場茶舗 2番は谷内病院 ・・・60番に再度美幌郵便局とある
美幌町役場は17番、現在は0152−73−1111番。
(美幌叢書9号)
電話番号に0番というのがあったのかい…ゼロ? ふ〜ん
 
1914(大正3)年、美幌郵便局施設が美幌の電話利用のはじまりのようだ。
「美幌役場の町のあゆみ」を見ると 1909(明治42)年 美幌郵便局に電信・電話線架設とある。
ちなみにこの年町に競馬場ができたようで、しかし、馬より早いぞ電気の声、驚きの文明の利器。
大正末期で約百台、昭和6年140台

1963(昭和38)年自動式で局番方式になる 加入者数936戸
局番の数字で自動的にその地域の局につながるようになったのでした。
それまではというと、的場茶舗に電話したい時は、ビホロの1番にお願いします と交換士につないでもらっていたのでした。

文明の利器、電話の増加

文明、そうです、文明と電話とくると、頭の中で踊りだすクマがいる人も多いのではないかい。
あれ、ネコでなくてクマなんですと、耳と尻尾がネコですけど、これやそれやでクマということにしたのですってさ。

「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」という秀逸なCMソング、
1937(昭和12)年に文明堂が電話帳の裏に載せていた「カステラは一番、電話は二番」というキャッチフレーズがありました。1960年頃、文明堂豆劇場なるステージで「天国と地獄」のメロディーに乗ってカンカンダンスを踊るクマの操り人形のテレビコマーシャルは、テレビジョンで広く放映され、カステラの滋味は深く、お使い物に重宝されてきました。

ただし、地域により違いがあるようです。
このCMは、関東にある文明堂数社が共同で制作し、1960年代前半から放映されたもの。「カステラ一番、電話は二番」までのフレーズは、文明堂総本店長崎県)や文明堂神戸店兵庫県)でもCMに使用していたようだが、メロディーなどは異なる。
(Jタウンネット http://j-town.net/tokyo/news/localnews/215364.html?p=all


一番美味しいのはカステラだ、文明堂の電話番号は2番、三時のおやつは文明堂だね、とした解釈の前に、
3時のおやつの時間には、まず1番にカステラを食べ、電話が鳴ってもこれは2番目に・・・ということで2番の電話番号を取得した、らしい。

電話は2番、このキャッチコピーの誕生に関しては、
道頓堀の飲食店すき肉屋本みやけのうたい文句であった『肉は一番電話は二番』、
「文明堂のキャッチフレーズは、この「本みやけ」から拝借したものと考えるのが妥当だろうと思う。」
(カフェー考現学 (大正・昭和の風俗批評と社会探訪―村嶋帰之著作選集) 津金沢聡広,土屋礼子 2004年刊)


脱線しました、美幌に戻る。

ビホロの1番は0001になったのかな、と0152−73−0001をネットで検索してみる。
北信テレック株式会社 三橋のソフトバンクショップにて携帯電話販売に従事 となっておりました。
0152−72−1000は株式会社タイセー電器 ドコモショップオホーツク美幌店 美幌町の公式ホームページによると家電製品やパソコンの取り扱い、ケータイ・スマートフォンやインターネットを取り扱うドコモショップ業務。


1番を取得する事業力ということでしょうか、電話は固定から携帯へと伝える方法を拡大し続ける。

北海道は寒くない

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オホーツクの海岸に流氷が届く頃がもっとも寒さが厳しい、と聞きますが、
移住体験宅、宿泊できる産業体験施設グリーンビレッジとエコハウスに冬季ひと月ほどお世話になって思い知りましたことですが、
北海道は寒い、のではない、凍る、こおる、のです。こちらの言い方では、しばれる、です。寒くないですと? はい、住宅が基礎と断熱をきちんとした家屋で、暖房費をそれなりに出せる、のであれば、ですが。


たてものが寒冷地仕様に充実していること、移動はちょっとした距離でもおくるま、でありますと、静かな雪の絨毯に残るきつねの一直線歩行の足跡など遠くに眺めるなど、雪の風物を余裕を持って楽しめることでしょう。

 

雪は降る、あなたは歩く、雪は溶ける、あなたは転ぶ、この繰り返しののちに春になります。
積雪の表面が主に轍から溶けてくる、しかし外気は日中もマイナス、ようこそガチガチに冷たい氷の世界、ゆるんでくるとさらに溶けてベチャベチャ黒ずみ、そこに吹雪がやってきますと、もうリンゴ売りもやって来やしない(※リンゴ売りは比喩ですから)。町を覆うものは、それは雪のように見えますが、マイナスの外気では雪のふりした氷なんですよ、ふわりとした雪だからとやさしい気持ちで手をさしのべると、冷たい硬い重たい氷であった、なんか騙された、という一瞬の裏切り、大げさですが、そんな感覚です。積雪のあまりない地域に暮らしているとしても雪の天気は幾度も経験してはいますが、なんというか、何度でも騙される、雪って変わり身が早いのです、あれはね、こ・お・り。

 

吹雪警戒警報が出たので出かけるのを控えることにした。
町の西側の丘に建つびほろエコハウスのリビング57.11平米のワイドな贅沢、
リビング一面の大型窓、降り積しきる結晶のままの雪で木立も埋もれる。
リビングには2代のペレットストーブ
お金持ちになった気分ですわ。

 

パソコン、スマホが無い頃、電話などの通信設備が満足に無い頃、
急用、急病の時はホント辛いことだったでしょう。吹雪で明日学校休みだわ、という連絡も電話の無いお宅ですと隣の(近いとは限りません)方が吹雪いてる中歩いて知らせに行かねばならぬ、ということも少し前まではあったことのようです。ああ電話、吹雪の中を声だけが飛んでいく、なんという利器、これはもう、電信・電話線のことに触れねばならない気になってきました。

 

つづく

 

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びほろエコハウスの外壁の現物 断熱材はウレタン 手前のシートはタイベック 

ベッドルームが4箇所もある一軒家 宿泊料金1泊2日 2名から1万円から

ダイニングの大型の窓に広がる美幌町の夜景と星空を楽しめる

 

カネゴン4417

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 「4丁目セントラル」、ただのセントラルではなくて4丁目ですか、
美幌町の大通りに面した3階建てくらいのビル、これはむかしの百貨店かな?びほろデパートというのがかつてあったと聞くけど、これかな。

 

私はデパートではエスカレーターではなくて階段を歩くようにしている(エレベーターはなるべく敬遠)、各階の売り場を階段で移動すると、別の空間にきた感覚がつかめます。

こちらセントラルさん、はい、ごめんください。

この店は半階ごとに売り場となる構造、
(半階ごとにゆるやかに階層がつながり、目線にも高低差が生まれるので実際の床面積よりも広く感じる開放的な空間効果がある、スキップフロアというらしい)
食料品売り場は無い、けど、衣料品 靴 カバン 文具 玩具 スポーツ用品 引き出物 金物屋の修繕部門まである、総じて棚は密度濃く、いや、コーナーによっては発注が止まっているような力の抜け具合もあり。部門によっては昭和から平成の製造年が雑居している、かのような、日用雑貨の歴史が陳列されているような品揃えだ。もちろん館内「地層」表面は新入荷の品々です、今を生きるあなたのお買い物に間に合います。

身の回りの要を並べるとこうした商品構成になる、町のど真ん中にある頼もしい存在?町の機能を担う商店に求められるのは、ひたすら売れ筋を短い回転で棚にのせ欲望を喚起することで成立する商法とは反対のあり方、ということかな。

よろずや。懐かしい単語が蘇ってくる。時空のねじれか。
しかもこの店の出入り口は東西の2カ所にありどちらも車道に面しているので、まだまだ不案内の町ゆえ方角がわからなくなった。
まどいの店内、店内装飾の癒し系編みぐるみがあちこちを賑わせている、手のひら大のものが多い中、うっ、これは!

カネゴン 編みぐるみの 

カネゴンとは円谷プロダクションによる特撮ドラマシリーズ「ウルトラシリーズ」に登場する怪獣。初登場作品は『ウルトラQ』。第 15 話「カネゴンの繭」、オリジナルは 1966 年(昭和41)放送。
全長約2メートル。頭部はガマグチ財布の形状(口金ではなくジッパー付き)で、主食は硬貨とお札。1日に必要な額は3,520円。胸のレジスターのカウンター(¥5桁まで)に体内の金額が表示され、それがゼロになると死亡するので、金を食べ続ける。
1日に必要な金額は3,520円、ですかー。今の金額で言うと2万円相当の金額だとか。

値札は無い、売り物では無い、紺の制服の店員さんの手作りなんですが、ありがたいことに分けていただいた。
胸の刺繍、この4417とはなんですか?カネゴンの残高カウンターのことは後で調べたことで、紺の制服の方にお尋ねした。
さあ、編みぐるみの本の作例にそうあったから、とのご回答。ふぅ〜ん

カネゴンが誕生したのはどのような時代であったのか。
1967年(昭和42年)所得倍増計画達成
1968年(昭和43年)GDP世界第2位になる
スーパーマーケットの黎明期です。4丁目セントラルの建築のスタイルはこの頃のものではないか。


4丁目セントラル びほろデパートとは違います、むかしは安藤馬具店という馬具を扱う店であったそうで、美幌史をひもとくと馬とのお付き合いのことが際立っている。

美幌神社に合祀されている相馬妙見神社は馬を守護する神さまを祀ったものだそうで、
美幌叢書第9号「入門むかしの美幌」の目次にあります、美幌馬物語ー馬なくして美幌は、北海道は語れないー 軍馬 農耕馬 馬車馬 農耕馬を中心に、飼養頭数は3500頭前後、馬市が盛んであった。
農耕作業に農作物や肥料運搬に欠かせない存在だったのですね。農家の荷物運搬は馬車が主役、馬そりは冬期間の唯一の交通や輸送の手段でありました。

美幌には競馬場もありました。1909(明治42)年~1949(昭和24)年
秋祭りの余興で開催された草競馬だったようです。
馬がいれば馬屋があり馬具を商う店がある。
美幌100年史によると昭和25年度国勢調査 職業別戸数 馬具店 五 とある。
 
昭和30年代半ばより農作業の機械化が急速に広まった。敗戦により軍馬の需要がなくなり、また、トラクターなどの農耕機械が普及し、1949(昭24)年、馬たちも減り続け、競走場もいつしか姿を消した。安藤馬具店もやがてスーパーマーケットとなった。


おもちゃ売り場では退色したパッケージのイラストにお宝の可能性を探ってみる。
プラモデルマニアがレア物をゲットできたという話を後日知った、むべなるかな。
筒状のラッピング用の紙をまとめ買いする、レトロな模様は「紙ものラブ」の乙女のハートをきゅっと掴めそう。都内のレトロ紙ものを商う店に売りに行ってみようかな、とチラと思ったり(笑)

値札(値段のシール)の金額はいつでもいつまでもそれが新しかった時のままなんですね、
未だレジに持っていかれることのないこれらの品々の値札の数字とは、こうありたかったこうあるべきだ、でもかなわなかった希望、かなわなかった願い(これまでのところ)。
見切り品処分価格という辻褄合わせはほぼ無い、セントラルにはそんな発想は、あまり無い。
ここにカネゴンがいたのは必然のように思えてきた。
お金で生活している人は誰も皆、多かれ少なかれカネゴンですよね。
資本主義社会の経済原理に生きる私たち。

4丁目セントラルはアダムスミスの神の見えざる手に揺らされながら、十年一日のごとくあり続ける。

 

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キューピーマネキン、ズボンの裾の赤いラインが素敵
このマネキンは美幌の骨董雑貨屋あれこれ屋にもいるよ

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漢字でワープ 3

 
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西暦1854幕末に出版された『アイヌ語単語帳』掲載の北海道周辺図
蝦夷 韃靼 唐太 西ヱソ海 東ヱソ海 などの表記がみえる

 

北海道といえば酪農の風景が浮かびます、日本の生乳生産を支える北海道の酪農。
羊に関していえば昭和20年から30年のピーク時には、全道に50万頭以上いたといわれる羊だが、現在の飼育数は約4千頭にまで減ってしまった、ご家庭の食卓でおなじみジンギスカン、羊肉ほとんどは海外からの輸入品だとか。盛り返そうとガンバル羊飼いたちの創意工夫はこちらをどうぞ。
(特集 羊とジンギスカン http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200307/special_00.html

美という漢字は羊の姿をかたどったもの、こういうのを象形文字と言いますが、
象形文字や記号で占いをしたことが漢字の始まりなんですと。

漢字は3千年より多分もっとむかし、王様の威厳を示すための占いから生まれた。
王を王たらしめているのは神の意志を知ることができるという特殊能力である、
神のお考えは文字を刻んだ骨に現れるのだ、ということですが、現れるって言ったってさ、亀の甲や牛の骨を火で炙ってできた単なるひび割れなんですよ、それに箔をつけているのが刻まれた文字、ここがポイント。
ひと読んで「甲骨文字」。

俺は王だ、すごいんだぜっ、皆の者ひれ伏せ、
権威の維持のための儀式の道具だったわけですね。

それからさらに数千年経った頃、キングオブキングである皇帝が絶大な権力で漢字を体系化した。
字典・字書編纂を命じ、統一文字を普及させたスーパーキング、それは秦の始皇帝
万里の長城造築、度量衡など規格統一、全国共通の文字を制定、すごっ、てお方。


なぜ羊?羊が生存のための糧である暮らし、という地域だったいうことになるのでしょうか、
生存が厳しいと大きなものは豊かさを感じさせるのだ、断捨離など文明の病はまだはるか先のこと、
大きいことが美しい、という感じ方であったという。

羊いつから?北海道の酪農はいつ頃始まったのか、北海道庁のサイトを見てみました。
北海道農業発達史年表
天正16年(1583年)・・・<畑作の起源>
文化 2年(1805年)・・・<馬牧場の起源>
安政 4年(1856年)・・・<農具移入の初め> <搾乳の起源>
安政 5年(1858年)・・・<牛牧場の起源>

明治 6年(1873年)・・・<バター、粉乳製造の起源> 
明治 9年(1876年)札幌農学校を設立、米国よりクラーク博士招聘。

あれ?畑も馬も牛もバターも<起源>とりりしく紹介されているのに、
無いじゃないですか、ヒツジ。

同庁を出て、別の門をくぐりました。

明治6年(1873年北海道開拓使エドウィン・ダンが牛と羊を引き連れてアメリカから船でやってきた。明治9(1876年)には札幌南部に真駒内種畜牧場(牧牛場)、西部に牧羊場を設置して指導、北海道の牧羊の基礎を築いた。このとき導入した羊は、全身が白くモコモコとしたスペイン原産の「メリノ種」で、目的は羊毛。

同庁のページにも、「明治6年・エドウィン・ダンを米国より招聘」とありますが、羊の記述は無いですね。メーメーの羊毛でお世話になりましたのに、没有(メイヨウ)ですかい。(没有とは中国語で「無い」)

美幌のビはこのへんにして、ホロ、ホロとはなんだと調べていたら保呂駅というのにヒット、
樺太、唐太、現サハリン
カラフトの語源はアイヌ語で、カムイ(神)、カラ(造る)、プト(河口)の説あり。
保呂駅は樺太豊栄郡白縫村に存在した鉄道省樺太東線の停車場、鉄道の駅名。

1927年(昭和2年)11月20日 設置。
1945年(昭和20年)8月 - ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、駅も含め全線がソ連軍に接収される。
4月1日 - ソ連国鉄に編入。ロシア語駅名は「ドゥジノ」。


駅名 保  呂    

累計キロ程 138.8 

開業年月日 昭和2年11月20日

ロシアにおける累計キロ程および駅名 139.061 ドゥジノ
(出典 https://uub.jp/arc/arc78.html

ロシアではドゥジノ、ですか、今もその名であるのでしょうか。
そもそもなぜホロなのか?ホロという読み方、もとよりそこいらに、暮らしていたか狩りや商いをしていた人々が口にしていたのか、それに保呂という当て字をしたのはなぜかな。幌一文字だと座りが悪いような、というほどのことだったりして?

ネットで現在のサハリン鉄道路線図を軽く見ていましたら、駅名にポロナイスク発見。
樺太であった時の名は敷香、シスカと読みます。この土地のことはまた後日話題にするとして、
北海道の北に位置する大きな島、樺太、カラフトと読みます、今では日本ではありませんが、むかしの名前で出ています、今はロシア領サハリン

サハリン さはりん Сахалин  Sahalin 
もともとは満州語の「サガリェン・アンガ・ハタ」(「黒い川の河口の峰」の意)からきている。「黒い川」とは黒竜江アムール川)をさす。
日本大百科全書(ニッポニカ)[編集部])

サハリンは、北方民族ツングース語で、サハリン・ウラ・アンガ・ハタ("黒龍江口の山"という意)から呼称されるようになったもので、ロシア語ではありません。
一般財団法人 全国樺太連盟 http://kabaren.org/karafutowoshittekudasai/

名前の変わるたびにさよならを言ったわ、その時その時よ人生って、てな感じですかね。

漢字でワープ、漢字変換のキーを叩いて、美幌から海越えて樺太まで来てしまった。あと一つだけ、
美幌滞在中でのことですが、「国境」を振り切り想像力の限界まで飛びそうになった瞬間がありましたことを最後に。

「国後のネコ」

あたし、クナシリからの引き揚げ

ん? くなしり、クナシリとは、えっとー、

北方領土の、ホラ、

えっ? あっ、えっ、そうなんですか、あ、そうなんですね 国後!

そのご婦人は子供の時クナシリに家族と住んでいたが、敗戦で引き上げることになった、
ということですが、社会科で教わった「北方領土」とやらが急に実体を持って目の前に立ち上がってきてしまった。
その頃は日本が仕切っていたのですが、追い出される事情ができてしまいまして、
そりゃもう四の五の言わさずで出ていかなくてはならなくて、持ち出せる荷物も限られて、なのでした。


急なことだったのですよね、まだ小さかった、そうですか、何か、これだけは持っていきたいと思ったものはありましたか?お人形さんとか?

ネコ、飼ってたネコ、こう前足をかけて覗くようにこっちを見てた、
ネコ、持ってくわけにもいかないもの

食べ物の商売をしてきたから、生き物飼うわけにもいかなくて
ネコ飼うことはなかったねえ

まずアバシリに引き揚げて、それからこの町にお嫁にきて
ずーっと働いてきたよ

こないだお医者さんに行った時、
おや、ネコちゃんですね、と言われた、
ネコの顔がいっぱいついてる服着てたから、あはは

 

 

 

漢字でワープ 2

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美幌の市街は南から北にかけてゆるやかな下りとなっている、
左に網走川、右に美幌川、2つの川が合流して三角形を作る。
地図でいうと画面下から画面上に川の水は流れ、網走方面に流れオホーツクの海に注ぐ。

美幌町アイヌ語「ピポロ」(水多く大いなる所)の転訛
アイヌ語に由来するが、「ピポロ」〔石・多い〕あるいは「ペホロ」〔水・多い〕の二説があり、特定しがたいとされる。(wiki)
アイヌ語は音韻として見る限り清濁の区別がない。 pet= bet (河川)、poroは(大きい、広い)


さて、それでは当て字に使う漢字のチョイスはどうでしょう。

ピには美、ポロには幌の字を当てて、ピポロもしくはビホロを「美幌」と漢字表記が決定された。

他にこんなのはどうでしょう、「備保呂」、おっと、たちまち何か違う世界に放り込まれたような、
日本の中世のイメージのような、

音読み訓読み重ねの湯桶読みでよければ「美穂芦」、
穂 ほ(訓読み)音読みは すい
芦 ろ(音読み)訓読みは あし
美しい穂とアシ、弥生文化圏にワープ。蝦夷に戻ってこよう。

明治時代に開拓農民などが入植するようになり、カタカナで表されていた地名を漢字で表すようになった、と大雑把に伝えられていますが、漢字を当てた蝦夷の地名はもっと以前の時代の文献にもあるようですし、
明治最初に一斉に一律に「漢字変換」されたというより、徐々に定まって行ったのが実情かもしれません。

北海道には幌の字がつく地名が多い、
「幌」は「大きい・広い」を意味する「ポロ」の当て字で、「幌」の字の持つ意味とは関係がない。
札幌、幌加内、美幌、佐幌 幌内 幌別など多数ありますが、何でしょう、お約束のようにホロといえば幌ですね、手抜き?行政指導?

穂や呂ではなくて幌の字を採用するとは、幌馬車など開拓の風景が喚起されるので好ましいと採用されたのかも?

こうして漢字を選ぶ係の人になって想像してみると、何がいいかな、ぴったりくるかな、と考えている時に、それはやはり、その土地のイメージにより近いものをチョイスしたくなるんでないかい?
地名を一つ一つ見ていくと、どうやら当て字で意味は無い、とばかりも言えないようです。

美利河(ぴりか)はアイヌ語地名では「美しい川」を意味する「ピリカ・ペツ」で、語意に即した当て字がなされている。シコツやキキンは死骨や飢饉を連想するので縁起が悪いと全然違うものに変えた、など。
「細長い沼」を表す「タンネ・トー」からとられた長沼町の意訳もありなど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/北海道の地名・駅名)

パンパカパーン
北海道庁主催による北海道地名、ナイスなチョイスコンクール、
意訳の部、最優秀賞はーー町、おめでとうございますぅ!!

町長挨拶
この度は、栄えある賞にお選びいただき、誠にありがとうございます。
今こうして受賞の喜びを語れるのは、漢字の伝来と開拓にご苦労された先人のお蔭だと思います。我が町住民一同誇りを持ってこの町名を守り受け継いでいく決意を胸に、町の発展に邁進していきたいと思います。

なんてコンクルールあったら面白いですよ。

漢字って甲骨文字の象形文字など調べると成り立ちがわかって面白いです。
広い範囲を仕切ることができる強い王様のなせる技、

コトバは音だけではなくて文字があると便利だよ、

 あってよかった文字表記、記録は歴史、勝者の記憶、

 

勝者、ですね、それって誰にとって便利なのか、
ということが気になってきたりもして・・・

つづく

漢字でワープ 1

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窓の風景が違いすぎる。
梅にメジロ、こちら本日の最高気温は8度の予報。北見あたりは最高気温はマイナス4度とな。

北海道の情報誌などで困るのは、地名が読めないこと。
てしくつ?違うな、これは、てしかが、弟子屈
なかひょうづ?いや、なんだっけこれ。
北海道来訪者はこのハードルを引っ掛けながら読み進める。
耳で聞き覚えたのでは無いと漢字で読んでしまう。


むかしむかしの「日本」に文字は無かった、少なくとも体系的な表記は無かったようで、
海の向こうから漢字が伝えられ、意味が同じか近い文字を自分たちのことばに当てはめてみた。
「やま」には「山」、「かわ」には「川」、文字で伝えることができるようになった。
かぜは風、ひかりは光、そらは空、天、ふるゆきは雪、水は氷る

日本語には漢字がある。漢字をもとに作ったひらかな、カタカナもある。
この広い世界、文字の有る言語と無い言語、があります。音だけではなくその音を表す記号があれば便利なのに、なぜ記号である文字が無いままで居られるのか、漢字学の本の編集を担当している方におはなしをお聞きしててあっさり納得。

つまり
そのためには王様がいるのです。

そうですね、それはそうだ、トップダウン。中央の絶対権力、ってやつが要るのです、文字を制定して広い地域で統一するトップが必要なのですよね。
あの町この村ところトコロてんでバラバラな使い方をしていると伝わりません、
度量衡もまさにそう、長さや重さなど、基準を定めないことには他とのやりとりができません。

日本地域に暮らす人々は、漢字が伝わって便利にしてきて幾年月、いろいろ求めて
当時蝦夷と呼んでいた大きな島に移り住むようになる。ここはどこ?なんというところ?
もとよりそこいらで暮らしていた土地の人々が名付けている地名を、漢字を使って表すようになりました。
ただし、意味ではなくて音を聞いて、似たような音になるように漢字を並べた、つまり当て字、意味は無い。

かくして、北海道の地名の多くはアイヌ語由来によるものとなった、今日ではこういう了解の仕方がなされている。
ふむふむ、それで読めないわけだ、おもしろい響きだとは思っていましたが、読みにくいのには理由がある、わけあって読みにくい地名、北海道に限りませんけどね。

日本語起源には様々なお説があるようですが、なべて何事も一色ということはないわけで、
コトバは横の広がり縦の広がりの織りなす模様、いろんな地域に暮らす人々の話す音が折重なりして受け継がれてきたのでしょうね。
北海道の情報誌は移住体験の入門テキスト、アンド
北海道の地名はアイヌ語の入門、ではないでしょうか。


さて、それでは当て字に使う漢字のチョイスはどうでしょう。

美幌町アイヌ語「ピポロ」(水多く大いなる所)の転訛
アイヌ語に由来するが、「ピポロ」〔石・多い〕あるいは「ペホロ」〔水・多い〕の二説があり、特定しがたいとされる。(wiki)

ピの音に美、ポロは幌
アイヌ語は音韻として見る限り清濁の区別がない。 pet= bet (河川)、poroは(大きい、広い)
 

つづく

白いドロップ

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ドロップ
砂糖80%と水飴20%
水飴によって砂糖の再結晶化が防げられてできた透明な外観が特徴(wiki)


国産ドロップが誕生したのは明治41年(1908年)のこと、今年で100周年。缶入りで発売されたサクマ式ドロップス
イチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、ブドウ、チョコ、8種類の味。何が出てくるかわからないところが面白さ、なのか、缶入りのパッケージは今だ健在。

研究に研究を重ね、ついに外国製品に負けないドロップが完成。新鮮な味覚と風味を生む独自の製法は「サクマ式製法」と呼ばれ、特許庁よりサクマ式ドロップス登録商標が認められた。(佐久間製菓のホームページより)

いいですか、サクマ 式 ドロップス。「式」がポイント。
缶入りのサクマドロップス、実は2つの別の会社から出されている。戦後に会社が分裂したすえのこと。
赤が基調の缶は、「佐久間製菓」が製造・販売する「サクマ式ドロップス
緑が基調のは、「サクマ製菓」がつくる「サクマドロップス」。こちらのサクマさんはまるくてちっちゃくて三角の「いちごミルク」が人気。

透明な外観が特徴のドロップですが、ハッカの味は白色。透明にあらず。
もともとハッカの原料は透明だが、飴に空気を抱き込ませる事で色味を白くしているのだとか。
子供の頃、私はハッカの白い粒が出てくるまで、いつまでも缶を振っていた。今でも缶を手にすることがあれば、きっと白いハッカ味が出てくるまで振ると思う。

サクマ式のハッカ、これはどちらの産地のものだったのでしょう。

 

f:id:bihoro009:20180118194647j:plain はっか豆の袋のイラスト

ハッカはハーブです、シソ科ハッカ属。ペパーミントやスペアミントなどは西洋ハッカと言えます。
ミントとハッカはお仲間、ということ。漢字で「薄荷」、ふーん、荷が薄い、ですか。大量の葉から採れる油はわずかな量、なのですと。

北見は美幌のおとなり、明治30年代頃から和種薄荷の栽培が盛んになり、往年には世界ハッカ市場の7割を占めるほど、北見の礎(いしずえ)を形成する重要な産業となった。北見のハッカ製品を手広く扱うのは北見ハッカ通商、どの品もパッケージはペパーミントグリーン。

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ハッカ油の瓶はおなじみですが、ハッカの結晶もおすすめ。ハッカ油をじっくり冷やして結晶化させたもの。
ハッカ油の主成分はLメントール、和名では薄荷脳、さわやかで特異な香りがする無色針状晶。

色が無くて針の形状のハッカの結晶、「薄荷脳」と呼称されてきたようですが、はっかのう?脳?ノウ?
脳、という漢字は今では頭部の脳に限定されがちですけど、この脳とは髄脳、最も重要な部分。 奥義(おうぎ)。心髄。の意味で使われているのですよね。
そうなんだ、結晶とは奥儀なのか!
単にハッカ結晶というより意味が伝わります。含らみを感じる。
(とは言ったものの、薄荷の脳、漢字で書くと、ちょっとツライですかね‥)
匂いでいうと樟脳も脳ですね、クスノキ中に含まれ,材片を蒸留して得られる特異な芳香のある無色透明の板状結晶。樟脳、という言い方は今あまり耳にしなくなりました、なんでしょうね、言語から意味が見えなくなっている。ミントだメントールだ、と言うから分からなくなるんでないかい、と控えめながら苦言を呈しているページを発見。
薄荷を探究する北見ハッカ通商ホームページ
素朴な疑問にお答えします
http://www.hakka.be/role/faq.html

薄荷脳は無水エタノールに溶かして使います。ポリスチレン(PS)容器は不可。
芳香剤、虫除け、入浴剤、多方面に活躍することでしょう。
蟻の大群にまいておいたら跡形も無く消え去った、との報告あり。
体験住宅の洗面台のフェイスタオルはハッカの香りがしました。