赤い靴を履いた探検家1
ようこそ、道東にお越しくださいました。道東には5つの空港があります。ここはそのひとつ、女満別空港。
空港ビルに設置された到着の文字看板、到 いたる その場所に行き着く。到達する。
美幌町には空港からクルマで10分ほどでいたります。JR石北本線美幌駅は、特急の止まる駅です、バスターミナルもそばにあります。札幌までは高速バスでほんの5時間。
蝦夷地と呼ばれたこの地に、道路も線路も飛行機も無い頃、土地の人々アイヌ民族の協力を得て、北海道をくまなく歩き回った探検家がいた、今日、その人は「北海道の名付け親 松浦武四郎」と語られ記憶されています。
ワンフレーズに濃縮された松浦さん、唯一の肖像写真では、長い長い首飾り(全国の勾玉(まがたま)などを集めた「大首飾り」)をぞろりと巻きつけ飄々とした面持ち、ワンフレーズに至る道はどのようなものだったのでしょうか。
私は古本屋でアルバイトをしていた。
その店は通販のみの営業で主に江戸期の古書を扱っている。自然誌一般を扱う専門書店として始めた神保町界隈の古書店のひとつであったが、取り扱いを徐々に和本に移して行った。一時間かけての通勤から解放されたい店長は事務所を自宅に変えた。商売の規模を小さくする方向でもあり、私の古本屋バイトは終わった。
その店にはフェイスブックのページがある、私が店の在庫で気になるものの画像を投稿するためのページとしてフェイスブックの場をお借りしていた、というあたりが実態ですが、「投稿」することができるくらいで他の機能はさっぱり理解していないままであった。店長はパソコンが苦手で、おそらくほとんど自分の店のフェイスブックを開いてみたことはない、と思われる。私がバイトを辞めてからは放って置かれている。誰にも更新されることなく今日もネットの大海原に漂っている。
移住体験で北海道を知るようになるとですね、取り扱っていたものに蝦夷関連のものが多かったことを思い出してきます。
・幕末発行のアイヌ語の辞書
北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族。Wikiより)
西暦1854幕末、北海道周辺図が掲載されたアイヌ語単語帳より
蝦夷 韃靼 唐太 西ヱソ海 東ヱソ海 などの表記がみえる
大便 ヲショロマ をしよろま とある
アイヌ少女「アシリパ」が和人の味噌を排泄物と思い込むなど作中で何度も繰り返し使われる単語「オソマ」のことか。
上原熊次郎 蝦夷語箋 附録魯西亜語
豊雲樓蔵版、嘉永7
口絵/印、朱墨にて補遺書入れ有、替表紙
封面無
和本とは、江戸期以前の和綴じの本、背を糸で閉じた冊子。
版木と呼ばれる凸版の板を和紙に刷り写す、和紙は半分に折って重ねていく、その束を糸で綴じる
版木は凸版、山桜の木が具合が良いようで、木の板に文字や絵が凸で彫り出されたものなんですよね、
お見事な線、なんという手間でしょう。
明治に入って本は今のような体裁になった、それらを和本と区別して洋装本とも言う。
「蝦夷語箋 附録魯西亜語」、この辞書は袖珍本(袖に入れて持ち歩ける大きさ、ポケットサイズ)、著者は上原 熊次郎、江戸時代後期のアイヌ語通詞。
通詞とは通訳するお役目の人。
江戸後期、ロシアの南下に備えて幕府は北の守りを迫られていた、
ロシア語や蝦夷地など北方に暮らす人々の言葉を知るために語彙帳が出されたのですね。
松浦武四郎も土地で学んだ言葉を本にしています。
(エゾゴ)
成立年 嘉永3年 (1850)
内容説明 11門に分類した和語・アイヌ語辞書。1451語を収録す。 活字翻刻本:吉田武三編「拾遺松浦武四郎」昭和39刊、吉田武三編「定本松浦武四郎(上)」三一書房 昭和47刊 (写本等は所蔵していない)
請求記号 北 920-Yos(北大北方資料室)
収載目録名 日本北辺関係旧記目録
レコードID 0A023730000000000
(北海道大学 北方関係資料総合目録)
北海道という言い方は松浦武四郎が命名、というワンフレーズ濃縮
今年は北海道150年、と喧伝されていますが、では、
なしてここはエゾではなくホッカイドウというようになったの?
いやその前に、エゾとは?それが北の海の道?
誰がつけたか君の名は?
ネットで検索する、上位にくるのが、これ、
「北海道の名付け親 松浦武四郎」
あれ?なんだっけか、そうじゃないんだよね、いやそうなんだけど・・・
ワンフレーズに濃縮されたこの表現、あなた、どうよこれ、
あ、そうなのね、松浦武四郎、聞いたことあるかも、
こうして時間の流れの波間に消えていく。
時間の川の水が流れ込むネット海原における航海術、スクロールの櫂をこぎ続けますと、
松浦さんの提案したものにすんなり決まったわけではないことがわかってきました。
見えてきました島々の影、「海」ではなくて「加伊」であった、新政府に問われて松浦武四郎が蝦夷地の命名に提案した一つが「北加伊道」、だったんですよね。
ところが、最終的には「加伊」ではなくて「海」の字を用いて「北海道」と決定されまして、
「北海道という言い方は松浦武四郎が命名」なるワンフレーズが広く知られることになっていってるようで、
では「加伊」とは? 加の字と伊の字、音はkai、なんでしょう、これは?
以前このブログで、北海道の地名に漢字をあてたのはいつ誰が?という疑問を取り上げましたが、
蝦夷地の命名以前のこと、松浦さんは各地の地名に漢字をあてる試みをなさったようで、彼の漢字チョイスがさて、採用されたところが多いのか、どうか。
当ブログではネットでたどり着ける領域、しかも日本語、での海域で漂っております。
ネットで検索していて思うことですがーーー、
ワンフレーズを鵜呑みにして、上位に来ずば存在せず、のようなリサーチで出来上がる情報のコピペの危うさ。
調べ物は、より古いより広い範囲の文献にあたることが大事ですけど、そうなると紙の資料ですよね、和本は、より古い記録装置です。
倉庫借りて保管して取り扱う日本の古本屋はこれは文化事業でありますでしょうに、それがですね、日本では売れたものだけではなくて在庫全体に税金がかかるのですって。ガーー
記録、大切です。
わかりやすさが勝敗を決めるかのごとくな単純化されたネットなどの情報が検証されることなく拡散されて、これまで積み重ねてきた知識を書き換えている勢いが止まらない様子に唖然慄然となります。瞬殺の上書き文明・・・・・・
つづく