小麦の穂2

f:id:bihoro009:20180109194722j:plain 町の大通りに風見鶏

 

 今日、北海道は国産小麦の一大生産地ですが、北海道小麦のブランドの源に多くの先人の苦労があるわけで、
忘れられてしまったパンの王様のはなし。
戦前、マルキパンと呼ばれたパン屋があった。


イースト菌はパンをふんわりと焼き上げるためにとてもよく働く菌だ、
パン生地の発酵に向いた酵母を人工培養したもので、天然酵母に変わりはない、そうである。
安定した発酵が短時間でできるので機械任せにできて、大量生産も可能となった。味も安定した。
イースト菌国産化に成功して、イースト菌による製パン業とパン製造機械化の道を開いたのがマルキパンの水谷政次郎。

北海道の小麦が最もパンづくりに適していると知るや、丸瀬布、千歳、小清水村、北海道に小麦の大農園を興す。しかし、戦火による工場の焼失などの躓きが重なり、敗戦後は北海道の広大な各農場は農地解放の対象となり、彼は失意の中で1945(昭和25)年、小清水村でその生涯を閉じた。享年73歳。
小麦問屋に丁稚奉公をしていた時に初めて口にしたパンの味、そこから半世紀、パンと小麦を求め駆け抜けた人、政次郎が農園を開いた小清水は美幌のとなりのとなりに位置する、北海道に託した夢の小麦は今も小清水に輝く。

マルキパン、正確にはマルキ号製パン。
牛乳店を経営していた伯父木田卯作の後をつ継ぎ、木田の木を採ったマルキの屋号も引き継いた、こうした経緯があり、正しくは、もしくは本来は、マルキ号製パンであるようだ(商標は丸囲みにカタカナのキ)。
パンとチチ、パンと牛乳を組み合わせたミルクホールが大阪で大繁盛、日本のパン業界の重鎮とまでなった彼が戦争の時局に翻弄される様に読むのが辛くなる、しかし政次郎とゆき、創始者夫妻のおおらかなやりとりには味わいがある。
マルキパン、で検索すると全国にその名のパン屋がいくつもあるようですが、マルキ号製パンに勤めていた職人たちの形跡かもしれない、かと思うとまた楽しい。